Friday, August 31, 2007

Vol. 1 - No. 3

            『ブタがいっぱい』


1. 発見


去年の11月に、初めて辿り着いたシアトル。毎日の様に観光客のお決まりコースを相方と一緒に散策していた時に見つけたもの。それは、空き店舗になっている空間に所狭しと陳列されたブタ。「何コレ?」と好奇心が募る。

「シアトルってブタの街」?

バンクーバーを訪れた時に、ダウンタウンのあちこちに綺麗にペイントを施された熊の像を見かけたけれど、シアトルは対抗してブタ????

もちろん、ブタって言ったって、本物のブタじゃないんだけど、あの誰もが一度は目にした事がある、「ブタの貯金箱」を等身大よりチト大きくした位のブタなの。それにカラフルなペイントが施されてあって、とてもキュートな物ばかり。

その空き店舗の前には「ブタのパレードが帰って来ます!」とのサイン。

その後、先にシアトルに引っ越して来ていた友達夫妻に聞いてみても「わからない」との事。彼らはブタの置物を昔から収集している程のブタ好きなので、彼らに聞いても分からないならば、誰に聞いても分からないな、と思いながら次第に忘れ去って行った。


2. 再発見

今年に入ったある日、ダウンタウンまで出かけた時に見たもの。

それは至る所に配置された、カラフルなブタ達。一気に去年見た光景を思い出す。「あ、本当に帰って来たんだ」と。

銀行の前にはお金のマークが入ったブタ、ジュエリーショップの前には、綺麗に化粧を施され、ジュエリーをガチャガチャ施されたブタ、シアトルのダウンタウンはブタ一色。何コレ、何?

今回はさすがに気になって、コンピューターでリサーチをしてみた。


3. レイチェル

それはパイクプレイスマーケットの100周年を記念して、マーケットの守護神(?)のような存在であるレイチェルを捩ったものだった。

「レイチェル? レイチェルって誰?」

パイクプレイスマーケットの表玄関として絵はがきにも良く登場するコーナー。そこに置かれている黄金色の大きいサイズのブタの貯金箱、その名もレイチェル。

今では、シアトル一の観光客のメッカとしてしられている、パイクプレイスマーケットも1971年には廃止の危機に追いつめられていた。しかしシアトルの住民達が立ち上がり、それぞれがブタの貯金箱で貯めたお金を持ち寄ればマーケットを救えるはず、と、『マーケットの存続』に票を入れた。そこで、地元の彫刻家がデザインしたのが、この黄金のブタ、レイチェルだったのだ。

レイチェルが集めたお金は、12万ドルを超え、パイクプレイスマーケットだけでなく、シアトルに住む恵まれない子供達の学用品、食料も賄った。


4. ブタのパレード

初めてレイチェルの分身のブタがシアトルに登場したのは、今から6年前の2001年の事。シアトルの街の復興に、パイクマーケットを救ったレイチェルの力を借りようと、内外のアーティスト達と協力して分身が作られ、街の至る所に配置された。

その後は、しばらくお蔵入りしていたのだけれど、今年、パイクプレイスマーケットの100歳記念に、またもやブタのパレードが再現されたのだ。今回は、100歳にちなんで100匹の分身が街中に出現。そして折しも今年はイノシシ年。英語では「year of pig (ブタの年)」と言われている。


そんな訳で、只今、シアトルにはブタがいっぱい。


今年、シアトルへ来られる予定のある方は、何匹見つけられるかトライしてみて。オフィシャルのウェブサイトには、配置場所の地図がついています。

ブタのパレード2007 オフィシャルサイトは、
http://pigsonparade.org/index.php


Cheers!!

mika@シアトル

Wednesday, August 1, 2007

Vol. 1 - No. 2

           『所変われば、品変わる』



今年は、私がアメリカに住み着くようになってから8年目。その8年間の
間に引っ越した数5回。ハリウッドに始まり、サンタモニカへ向かい、
そこから大陸を横断し、マンハッタン。生活費の高騰にNJはフォートリー
という街に移り、そして再度大陸を超えてシアトルへ。そしてシアトル
市内の値段の高さに驚いて、今度は湖を隔てたカークランドに落ち着いた。


1. 西海岸から東海岸

最初に降り立ったのは映画の都「ハリウッド」。その頃は、なんちゃって
ダンサーだったので、ダンススタジオの近く、ということでハリウッドに
住居を構えた。

そして、その後に移ったのは、「サンタモニカ」。古いかもしれないけれ
ど、サンタモニカで思い出すのは、やはり桜田淳子さん。「来て〜、来て、
サンタモニカ〜」。サンタモニカの街にはデザイン関連の会社がヒジョー
に多い。うちの会社も、隣がシルクスクリーンのスタジオで、後ろが印刷
会社。そして反対の隣はタレントエージェントだった。

どちらの街も冬には気温が下がるのだけれど、それでも『常夏』と言って
も過言じゃない街。スパゲティーストラップのヘソだしトップにボディー
コンシャスなボトムス。へそピアスは定番で、タトゥーを入れている人、
数知れず。どちらかと言うと、少し「naughty系/不良っぽい系(笑)」
のファッションが定番の街。

で、定時で働いている人が少ない街でもある。ダンサー兼グラフィックデ
ザイナーとして食べていた私だが、周りには「自称」タレント、「自称」
ライター、「自称」映画監督と「自称」のつく人が多くって、そんな彼ら
にとってはコネクション探しがメインの仕事になってくる。日中夜問わず
(早朝は除く)、ビーチも街も人がいっぱい。自分の事はさておいて「コ
イツら、いつ働くんだろう」と良く思ったモノだった。

そしてその後に移ったマンハッタン。マンハッタンは、もっともっと日本
のビジネス街を彷彿させる。会社に行くのも、スマートカジュアルが定番。
ウェブやビデオなどのマルチメディア系の仕事が多かったLA辺りに比べる
と、断然プリント、出版ものの多い街。金融系などの固いデザインの仕事
も多かった。ギャラも良いし、仕事量も多い。それに加えて、人々もLAと
比べるとストレスレベルが高いのか、声を荒げる人が多かった。「パワー
スーツ」という言葉が生きる街。そして働き者も多かった。マンハッタン
程、都会とオアシスが一体化した街はないと思う。高層ビルのジャングル
のど真ん中にあるセントラルパーク。かつては危ない地区だったけれど、
今ではすっかり悪評も消え、朝から晩まで人で賑わっている。

その後に移ったフォートリーは、マンハッタンで働く人たちに取っての
ベッドタウン。ハドソンリバーを挟んだだけで、一気に都会から田舎になる。
ナイトライフは皆無に等しく、その上、通勤に時間がかかるので朝が早く、
夜も早くにお開きになる。フォートリーのあるバーゲン郡は、昔の禁酒法
時代から生きている「ブルーロー」なる法律があり、日曜日には薬局と
スーパーマーケットを除き、すべてのビジネスが閉店する。確かに子供連れ
に取っては、教育レベルも高いし、犯罪レベルも低くいので理想的な土地だ
けど、DINKS(double-income no kids)な私たちには、チト住みにくい街で
あった。


2. そして太平洋北西部

シアトルータコマ空港に初めて降り立った時に感想は、『アーティーな街』
というものだった。それまでNY近郊に住んでいた私たちはNYこそがアメリカ
で最も芸術的な街だと信じていたから、シアトルータコマ空港のインテリア
を見て、正直驚いた。この空港には個性がある。学校に例えると、「美術室」
に足を踏み入れた一瞬と似ていた。

実際、街のあらゆるところに彫刻やオブジェがさり気なく置かれている。店
のインテリアなども趣向が凝らされており、自己主張をしている店がとても
多い。ホームレスの人々でさえ、自己主張がされている。シアトルのダウン
タウンの乞食の数は半端無い。それも、かなり若者が多いのだ。そして圧倒
的に白人が多いのも、不思議。NYやLAでもホームレスや乞食の人は見かけた
けれど、そのほとんどは、年を取っていたり、病気であったり、と「仕事が
出来ない人」のように見受けられた。しかし、シアトルのダウンタウンは違
うのだ。とっても健康的な若者がお金をねだって来るのだ。これには、越し
て来て半年経った今も、まだ慣れない。

しかし、それも、湖を渡りイーストサイドに渡ると、まったく見かけない光
景となる。住人の半数以上はマイクロソフトやボーイングの従業員となり、
ほとんどの家庭が大学卒で収入も少なくはない。だからなのか、週末になる
とクラシックカーショーや、アートショーが頻繁に開かれる。この週末も、
3つのアートショーが一堂に会し、アメリカ各地からのアーティストで賑わ
った。5000ドルくらいもするアートが、ポンポンと売れて行くのだ。

こんな街だから、グラフィックデザイナーを職業とする私には向いていると
思ったけれど、実際は少し違う。至る所にアートは散らばっているのだが、
この街ではグラフィックデザイナー稼業はあまりお金にならない。というの
もマスマーケットが無いからなのだ。大企業は、「誰にでも好かれる」ルッ
クを望む。でも「誰にでも好かれる」ルックは得てして『無難な物』である
事が多い。そして、この辺りでは、『無難な物』はいらないのだ。NYで働い
ていた頃は、毎日膨大な量の仕事を片づける為に、次から次と作品を作って
行った。しかし振り返ってみると、いつの間にかアーティストの心をどこか
にしまって仕事をしていたような気がする。自分が気に食わない作品でも、
クライアントが気に入っているから商品化したりしていた。『悪魔に魂を売
った』状態だったのだと思う。

こちらに移って来て良かった事。それは、そういう自分に気づいた事。とり
あえずは、自分の手で何かを作り上げようと、この街に来て陶芸を始めた。
まだまだ試行錯誤中だけれど、「モノ作り」の楽しさをジワジワと噛み締め
ている。

LAもNYも魅力的な街。しかし、私は、そのエネルギッシュな街に住んでいる
事に依って満足してしまっていたような気がする。そうして考えてみると、
ナイトライフは物足りないけれど、ダンスレッスンも簡単には受けられない
けれど、それでも、ココ太平洋北西部が私に取っては人生を考える絶好の街
のような気がして来た。

今までずっと、ジプシー生活を送って来た私らカップルが定住の地を見つけ
る日も近いのかも。



Cheers!!

mika@シアトル

Saturday, June 30, 2007

Vol. 1 - No. 1

 

             『はじめまして』



           1. チョコッと自己紹介

こんにちわ。今回からアメリカはシアトルマリナーズで有名なシアトルの
近郊よりメールマガジンをお届けする事になりました。

何の根拠も無く『26歳で高飛びする』と心に決めた通り、26歳でオースト
ラリアはアデレードという街に行き、1年のつもりが5年になり、そして
長野オリンピックを機会に日本へ戻ったものの、1年後には映画とエンター
テイメントの都、ハリウッドにたどり着き、その後は、サンタモニカ、NY、
NJを経て、去年の暮れに、ここアメリカの北西の端、シアトルに。

南アフリカ出身のヒジョーに背の高いパートナーと、コメディーのような
毎日を繰り広げています。以後宜しくおねがいします。


           2. シアトルという街

実は、私たち、ココに引っ越してくるまでシアトルに関する知識は皆無。
LAにいたときも、そしてNYCに移る時も、NJに家を借りる時も、いつも
住む前のリサーチは完璧だった私。今回は、ホント、訪れた事もない土地
に移り住み、色々と「あっ、そ〜だったの」という事も多し。(ま、そう
いう訳で、このメルマガのタイトルが"ah so!”となった訳です)

さて、シアトルというところは少し曲者で、一言で『シアトル』と言って
も、実はシアトルをさしてない事も多いのです。というのも、シアトルの
ある州は『ワシントン州』なのですが、「ワシントンに住んでます」と
言うと、十中八九『ワシントンDC』と勘違いされてしまいます。なので、
ワシントン州の中でも、シアトル周辺に住んでいる人は「シアトルに住ん
でます」と答えるメカニズムになった様子。

シアトル周辺には、色んな市があるのですが、一般的に、ワシントン湖を
はさんで西側は「シアトル」、東側は「イーストサイド」と言われる事、
多し。私も、そのイーストサイドに住んでますが、こちらで有名どころの
イーストサイドの街は、まずマイクロソフトやニンテンドーなどのあるIT
街『レッドモンド」、そして日本の駐在員の多い街『ベルビュー』、そし
て、コストコのブランド名で聞き慣れている『カークランド』、最後は
世界一、住んでいる人の平均所得が高い街『メディナ』。

マイクロソフトのビル・ゲーツやイチロー選手もメディナの住人。何やら、
この街の年間平均所得は10億ドルを軽く超えるそうな。シアトルで住む
ところを探している時に、「あ、メディナって街、住みやすげ」って
思い空家情報を見て愕然。「えっ、家賃60万?!」。その直後に、ビル・
ゲーツがココの住人で、世界一高所得者の街と知り、そして最近、
イチローがココに家を建てていると知り、己の無謀さに気づきました。
ホント、この地区、西・北・南の三方が湖で囲まれてて、周りには
個人のボートハーバーがあったりして、ヒジョーに緑豊かで可愛らしい
街なのです。今の野望は、いつかアノ街に住む事(無理だな)。

さて、ここに越して来て、最初に驚いた事は、『坂が多い』事。
ダウンタウンのシアトルなんて、ホント坂だらけ。私自身、坂の多い街、
神戸出身で、実家の前の坂道なんて、昔は原チャリが登れない坂だった
んだけど、シアトルの坂って、それよりキツいところも... 

雨の日なんて、坂道発進に失敗して、坂をずり落ちてく車を見るのは
日常茶飯事。半数以上の車は坂道発進でタイヤを空回りさせていくし。

そうそう、シアトルは『雨の街』としても知られているけれど、実は
降水量は、東京と比べても1/3。アメリカの中でも一番降水量の
多い街では無いのです。ただ単に、冬はどんよりと曇りの日が多くって、
そして時雨はしょっちゅう。なので、『雨の街』という形容詞を着る事に。
ただ、日本の雨のように「ザーッ」って降る雨に慣れてないから、雨の中
での運転が苦手な人はチョー多い。だからね、とても難儀。冬はおかげで、
どこもかしこも簡単に渋滞です。

シアトルの道路状況は、かなり整備されて無く、イーストサイドから
シアトルへ行くのに、たった2本しか無い橋を通る人たちがほとんど。
そして風が強ければ、この橋は通行止めです。ほとんどのオフィスは
フレックスタイムを導入していて、みんな出来るだけ渋滞を避ける努力
をしてはいるのですが、やっぱりそれでもかなりの無理は生じ、まぁ、
朝は7時から9時頃まで、夕方は3時から7時頃まではひどい渋滞です。
そしてマリナーズやNHL、NBAの試合やコンサートがダウンタウンで
あろうものなら、その渋滞は更に悪化。ホンマね、あまりの混みようで
出来る事なら湖を泳いで渡りたいくらい。いやいや大変です。

しかし、こんな渋滞ばかりでも心を和ませてくれるのは、周りの景色。
日々、どこかで新しい花々が咲き乱れ、色々な色が溢れる街。渋滞の
イライラでもフッと遠くを見ると、雪をかぶったオリンピックの山々や
レニア山(日系人にはタコマ富士と呼ばれてる)が見え、そして近く
には湖と木々が、そして花々が。今まで色々な街に住んで来たけれど
ここまでカラフルな街に住むのは初めて。

シアトルという街は、なんだか関西人にとっての阪神タイガースの様
な存在。色々と不満はあるのだけれど、それを覆す魅力があって、
文句を言っては見ても、心の底から嫌いになる事は無いかな。

さてさて、つらつらーっとシアトルという街、そして私の紹介をして
見ましたが、次号からは、もう少し毎日の日常に踏み込んだ事を
語ってみたいと思います。

よろしくおつきあいの程、お願い申し上げます。

Cheers!!

mika@シアトル