Friday, July 22, 2011

Vol. 3 - No. 16

##カルガリー・スタンピード##

やっと昨日、本格的に暑なったな~と思っていたら、ただ今大雨。この豪雨が終わると、また冷えるらしい。今年の夏はホントに夏らしく無い夏。って言うか、実は去年も南アフリカに3週間行っている間に夏は終わってしまってたんだけど...

さて、先週の15日の金曜日、やっと噂に聞く『カルガリー・スタンピード』に行ってきました。もうカルガリーのダウンタウンなんて、スタンピードの始まる少し前から浮き足立っちゃって、仕事にだって来ない人はワンサカいるのよ。

この『カルガリー・スタンピード』、去年もチラッと書きましたが、まぁ、簡単に言うと『カルガリー夏祭り』って感じ。アルバータ牛で名を馳せるカルガリーだからこそ、この夏祭りもメインのテーマは『カウボーイ/カウガール』であります。

街を行き交う人たちも、期間中はテンガロンハットを被り、バンダナを巻き、そして大きめのチェックのシャツをズボンの中に入れてバックルに派手な飾りの施されたベルトを見せて歩く人が多し。

去年は、ボンの為にカウボーイハットを買った母ですが、今年は、相方にも格安店でカウボーイハットを仕入れ(父の日のプレゼントにしました)、100円ショップで、バンダナを仕入れ、行って参りました。

天候の安定しないカルガリーの夏ですが、ラッキーな事に、行った日は晴天!午後4時頃に行ったのですが、駐車場は満員御礼。結局、近くの空き地でヤミにやっているぼったくりの駐車場にて駐車。

正式のパーキングは15ドルから25ドルで、私たちが停めたところは20ドルパーキングの隣。とりあえず25ドル徴収されましたが、私たちの停めた、そのまた隣のパーキングは40ドル徴収してたそうな。この辺りも、怪しい夏祭りの感が高し。

会場内には、「とりあえずなんでも揚げとけ!」って感じの揚げ物屋さんがところ狭しと並んでます。ホントね、このスタンピードの期間中、カルガリーでの心臓マヒ率高くなりそうな感じ。揚げたオレオクッキーとか、チョコレートバーとか、ね。あ~後、レモネードショップも数多し。しかし何でも高いっ!水のボトル、普段だと1ドルちょっとで買えるのが、3ドルだもの。

屋外、屋内を含めて、色々な大小の催し物も繰り広げられています。うちのボンには、会場に入って、すぐに目の前でやっていた『ヒューマンキャノンボール』が大ヒット。

おっきい大砲におっちゃんが入って、そこから発射されて、50mほど先の網の上に落下するという催し物だったのですが、ウチのボン、あれから1週間経つ今も、『行くよ、発射するよ、ウルサいよ』と言いながら、色々なものを放り投げています。

あと、忘れちゃイケナイのは、その絶叫マシーンの数々。言うても日本の怖い遊園地のものとは比べ物にならないんやけど、それでも、移動遊園地の遊具としては怖いんちゃうかなあ。結構、目がぐるんぐるん回りそうなものがいっぱいありました。後は、高速で上がったり下がったりするのんとか。

しかし、目玉は、午後8時から始まる『イブニングショー』。最初は幌馬車のレースがあって、その後は、ミュージカル。しかし、その幌馬車のレースが長い!色々とルールがあって、説明してくれたんやけど、私も相方も話を聞いてなかったので、よく分からないまま、スゴい勢いで駆ける幌馬車隊を呆然と眺める(笑)。2時間ぐらいは、幌馬車レースに費やされてたん違うかなぁ。なんせ、競馬と同じで賭けられるので、みなさんアルコール片手にヤンヤヤンヤの大喝采。ウチのボンもなんや分からんけど、上機嫌で、"go horses go!"とか"you can do it!"とか叫んでました。ま、祭りは楽しまなね。

その後、午後10時くらいからミュージカル。ちょっと怪しげなミュージカル、それでも楽しくって、普段の就寝時間が過ぎても、ボンはスゴい勢いで見入ってました。エンディングの手前で突然、寝に落ちて、最後の盛大な花火の中、熟睡してましたが(笑)。ミュージカルは、ちょっと変わった『シルクドソレイユ』って感じかな。

お子さん達も出てて、スゴい練習積んではるのに、やっぱり天候不順で、今回のスタンピードでは、上演出来た日が数える程だったらしい。

なんやかんやで久々の夏祭り、楽しんで参りました。皆さんも、来年は、チコッと涼を取りに、カルガリースタンピード、如何です?

Tuesday, June 14, 2011

Vol. 3 - No. 15

##さらば、オッパイ星人##

さて、息子が「オギャー!」と産まれてから早くも2年と少し。もう達者にどこでも走り回るし、飛び回る。そしてペダルバイクもお手の物で操るし、言葉だって日本語と英語を怪しいながらも使い分ける様になった。

そんな中、ある日突然、オッパイ星人からさよならした。

産まれる前、実は母乳をあげるという事に対して、抵抗があった私。何だか、すごい『原始的』って感覚があって、『出来るんだろうか?』という感は否めなかった。だけれども、実際に彼が出て来て、お腹の上に「あらよっ」って感じで置かれて、そこからズリズリと這い上がって来て、私に食いついた時、「オイオイ」と思いつつ、自然に受け止めれた。

案ずるより産むが易しって事やね。

それからも、「高齢出産やし、母乳が出なくてもしょうがないよな~」って思って、とりあえずは『3ヶ月』が目標だった。その3ヶ月も難なくクリア。(難はあったんかも知れんけど、今じゃ覚えてない...)

半年経って、ファミリードクターに、「もうフォーミュラ(粉ミルク)に切り替えても良いわよ~」って言われた頃には、親子揃ってオッパイ星人。もうオッパイをあげられなくなる日の事を考えるだけで、寂しくって涙が出そうだった。

今の時代では、『卒乳』を目指す人が増えて来たとは言いながらも、やっぱり1年経つと、それを目処に『断乳』に踏み切る人も多い訳で、でも、それを見ながら「スゴいなぁ、こんなに愛おしい時間を自分から断ち切れるなんて」って思ってた。

余談だけど、『高齢出産、高学歴』が重なったママと言うのは、子供に長い間授乳する人が多いらしい。コレって言うのは、とりあえず『人に流されずに、自分の考えを信じて、マイペース』って事やからやろうねぇ。

人間、『自分のペースで良いよ』言われても、やっぱり他人の事が気になるもんね。私がもっと若くで子供を産んでたらホントに惑わされたやろうなって思うねん。でも、大体、41歳で子供を産む言う事自体が、世間の意見に逆らってるもんね(笑)。

『妊娠した』って母に宣言する前に、フト、『子供を産もうかな~』言う事を匂わした会話をしたとき、うちの母ってば、ハッキリ『そんなん無理やん、妊娠なんて出来ないわよ』ってさらっと言ってのけたもんね。彼女は、大学卒業して、結婚、出産。典型的な専業主婦。そりゃ、そう思うよね。

だから、産まれた時にビックリしてた。

ま、話は戻るけれど、そんなオッパイ星人の私たち。でも2歳になる少し前くらいに「このまま、自分で寝入る事が出来なくなったら困るな」と思って、寝入る時のオッパイは止める事に。

まぁ、この時には、最初は暴れたよ。でも、思いのほかスッと、寝付ける様になった。2人で一緒に寝る時にルーティーンを考えた。『最初は、本を3冊読んで、その後に歌を歌って寝る』というもの。

長い時は、1時間以上歌ってたっけ。それでも、寝ている間に起きた時にはオッパイをあげてたのね。オッパイをあげないで、寝についたら、朝まで寝るよ~って言う話をワンサカ聞いたのに、うちのは、全然今までと変わらずだった。

でも、ま、昼間に『オッパイ~』って来た時も、笑って「え?ミルクにしといたら?」とかかわせる時はかわしてたら、段々と授乳の頻度も減って来た。夜就寝時の授乳を止めてから、1ヶ月以上程経ってから、昼寝就寝時の授乳も止めた。

さて、1週間程前のある日、気づいたら、その日初の授乳は午後6時。で、その夜仕事をしていたら、息子の親友ハナちゃんのママよりメール。彼女は息子より2ヶ月若くて、オッパイ星人。でも、そのママのメールから、実は2日程前から、ひょんな事より断乳した、とのこと。

その事を息子に言ったら、「僕はもうもっと前に止めたよ」だって。「ホント?」って聞いたら、「うん、Caillou(漫画の中のキャラクター)もトーマスもジョージ(お猿のジョージ)もToopy&Binoo(漫画の中のキャラクター)もオッパイしてないし」だって。

そうか、そう言う事なら、うちも今晩は無しで寝ようか、と相方に。ま、どうなるか見てみよ。と。

夜中に大泣きするよなぁと思ってたら、その日、産まれてから初めて、息子は朝6時30分まで起きなかった...で、昼間は少しは欲しがったものの「オッパイ行っちゃったよ」言うたら、ちょっと暴れては見たものの、速攻で諦めた。そしてその夜も、朝まで起きなかった...

さて、それからほぼ1週間。やっぱり夜に寝ぼけて起きた時は、「オッパイ~」って一瞬泣くけど、目が覚めたら「あ、抱っこ」って言い直して、抱っこしたら、また寝る。

昼間も、「オッパイ?」って聞きに来るけど、「え~、しないよ~」って言ったら、ニヤッと笑って「そっか」って納得する。私自身も、良く聞く様に胸が張るって言う事も無く、あっさりと終了。

これは『卒乳』と言って良いのかどうかは分からないけれど、我が家のオッパイ星人は、案外あっさりと去って行った。「オッパイ止めたら、よく食べるよ~」とか「よくミルク飲むよ~」とか聞いていたけれど、そう言う事も特に無し。潮時やったんやろね。

でも、母は、やっぱりチョット寂しい(笑)。

Tuesday, April 19, 2011

Vol. 3 - No. 14

##道路事情の違い##

さてさて、ここカルガリーに移って来てから、早くも2回目の冬を終えようとしている。と言っても、雪が溶けたか思ったら、次の週末には50センチとかを超えるどか雪が降ったりして、まだまだ諸手を上げて春を楽しめないんだけどね。

今年のカルガリー、ホントに雪が多かった。長年、ここに住んでいる人たちですら、『今年の冬はヒドい』と不満を言うくらい。でだ、ここカルガリーって普段の年でも、雪は多い方なのね。

ところが。

雪道運転下手なドライバー多すぎ!毎年こんだけ降ってたら、「少しは慣れるんちゃうの」って感じやねんけど、暖かい日が続いた後に雪が降ると、もう駄目。

どう言う事かって言うと、寒い日が続いて、雪が路面にずっとある間は、みんな比較的安全運転だし、道路上も秩序が保たれてるんやけど、一旦、暖かい日が続いて、その後に雪が積もると、すっかりと雪の危険性なんて忘れて、コーナーに突っ込んでからブレーキ踏む様な人が増えるのよ。結果、スリップして、他のクルマに激突。そして交通渋滞。

もうねぇ、いい加減、雪道や凍結した状態での状況見極めをチャンとして欲しいという感じ。

その点、日本の場合、雪の多い地方にいくと、みんな上手に雪道運転をこなしているって言う感が強い。学生時代にスキー場でバイトをしていたのだけれど、地元の人の運転はすぐに分かった。

私たち雪道に慣れてない人間が恐る恐る運転しているのを尻目に、ちょいとの凍結なんてモノともせず、ドリフト走行で山を上って行っていた。

まぁ、私たちが出会ったクルマが偶々だったのかも知れないけれど...

しかし道路事情の中での最も大きい違いは、歩行者の態度。日本では、法規上では歩行者の方が優先されているけれど、それでも、歩行者達は、クルマが来るか来ないかを実際に目で確かめてから渡るのが常。そしてクルマ側も、歩行者がいても、結構無視して角を曲がろうとする事が多いのも常。

しかし、カルガリーでは、歩行者達が一番。本当に、信号の無い道路でも横断歩道さえあれば、クルマが来ていても平然と車道に足を踏み出す人が多い。横断歩道が無くっても、喋りながら、周りを見ずに渡る人の多い事。あまりにふてぶてしくて、反対にクラクションを鳴らしたくなる事もあるけれど、その現場を警官に見らると多額の罰金を喰らうからグッとそこはこらえる。

カルガリーだけでなくても、バンクーバーでも同じ様な感じだったかな。横断歩道前に歩行者が立つと、みんな徐行して状況を見て、そしてクルマはストップする。私が今住んでいる地区は、子供が多いからか、もう「あ、このヒト渡るかな」と思った瞬間にクルマは止まるという感じ。それも、歩行者から5m以上は離れたところで止まる。

シアトルは歩いている人も多いけれど、クルマもソコまですぐには止まってくれなかった。だから横断歩道に『黄色い旗』が置いてあるところが結構あった。

NYは、歩行者が多い分、歩行者自身が結構、攻撃的だったかも。「止まってくれたら渡る」という姿勢よりも「轢くなら轢けよ!」言う感じの人も結構いた気がするなぁ。

カリフォルニアでは、歩行者はあんまりいなかったから、歩行者の多い地区にいくと反対にクルマが怯えて、ユックリになってた気がする。

南アフリカは、チョット、日本に似た感じ。歩行者自身が自分の身を守らないと危険。ウチの義父が、去年2回、歩行者に当たったらしい。彼曰く「突然、ユックリ歩いて立ち止まった」言うけれど、私と相方の理解では、義父がスピード出してるから、まだ歩行者が渡ってるのにぶつかった言うところだと思う。

2回とも歩行者に怪我は無かったらしいし、歩行者自身が義父に謝ったらしいけれど...それがカルガリー近辺で起こってたら、間違いなく警察沙汰で免許停止は免れないと思うな。

本当に色んな国、文化も違うからか運転に関する認識も違う。

前にも書いたかも知れんけど、ウチの相方は、極力、クルマで方向指示器を使わない。私はそれがどうしても嫌なのだけど、相方曰く、「どこに行くか他人にバレる」言うんよね(苦笑)。

で、北米で相方の運転に乗っていると怖いんだけど、南アフリカで乗ると安心なのよ。ホント不思議。確かに相方の実家近辺では行く先がバレない事によって変なクルマにつけられないとか言う事もあるしねぇ。

そう言う事があるからか、南アフリカの標識は非常に見やすい。道を知らなくても、標識をチャンと見ていれば、まず迷う事無く目的地に着ける。しかしカルガリーの標識はチト短期滞在者には不親切。

「右折オンリー」と書かれた車線を走っていても、右折オンリーでは無かったり、南北に走っていた道が北西に向きを変えると、道路の名前もその都度変わったりして、引越して来た頃は本当に良く迷った。

そう言えばニュージャージーに住んでいたときも、そんな感じだったっけ。

オーストラリアは、標識が大変見やすかった記憶がある。でも、私の住んでいたアデレードは、京都の様に碁盤の目のところも多かったから、分かりやすかったのかも知れないけれど。

日本とロサンゼルスを比べると、私にはロサンゼルスの標識の方が分かりやすかった。やっぱり車社会という事もあるからかしら。でも、地区によっては、何度行っても迷うところはあったけれど。

相方にとってはロサンゼルスの標識も北米どこの標識をとっても南アフリカと比べると分かりにくいらしい。

、と相方と私、標識の分かりやすさに対して意見の違いは多少あるものの、共通して不満を持っているのは『駐車』に関する標識の分かりにくさ。

北米内でも的確な基準が無いのか、行く場所によって、表記の仕方が違うの。「9時から3時までは2時間まで駐車可」と書いてあるところ、じゃぁ、3時以降はどうなのか?となると、

・何も書かれていないので、3時以降は何時間でも駐車可能
・何も書かれていないので駐車禁止

という2つの場合が考えられる。ちゃんと「3時から翌朝9時まで駐車禁止」って書いてある標識があれば分かるけれど、そう言うのが無い場合がほとんど。それは、暗黙の了解らしいのだけれど、そんな事は外様には分からないのだ。

こう都市を転々とすると、毎回、免許を新しく住む都市に書き換える時に、ちゃんとその新しい都市の交通ルールを勉強するって言う事が無くなる。それが悪いんだろうけれど、それでも大陸続きでクルマで都市から都市へと移動する人だって多い筈。少しでも交通ルールを統一化してくれないかしら、と思う今日この頃なのでした。

所変われば品変わる。

Tuesday, February 15, 2011

Vol. 3 - No. 13

## どうしようかな ##


遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。新年の初投稿はバレンタインデーの翌日となりました。みなさん、素敵なお正月にバレンタインデーをおくられました?

ご存知の方も多いと思いますが、他の多くの外国と同じ様にカナダも、バレンタインデーというと『女性から男性に』というよりも、『大切な人に』自分の心を伝える日であります。

残念ながら、ウチの相方、記念日という記念日を全て忘れてしまう性分なので、今年のバレンタインデーもカードのひとつも無いやろなぁ、と思いつつ。

例年は、チョコ中毒の相方の為に、チョコレートものを何か用意するのですが、今年はそれも無し。というのも、相方の血を引いたのか、ウチのボンもチョコ中毒。まだ2歳にならないというのに、既に相方のチョコレートを食べる日々が続き、ついに虫歯に。

ということで、ボンがチャンと歯が磨ける様になるまで、そして、歯医者でチャンと座って口を開けれる日が来るまで、我が家ではチョコレートやジュースと言った甘味ものは封印する事に。

ということで、今年のバレンタインデーは本をそれぞれにゲットする事に致しました。

さて、今回のタイトル『どうしようかな』。これは、ボンの教育に関しての事。

カナダでは、アメリカと同様、9月から新学年が始まります。日本では、私の時代では、4月1日と4月2日の間に学年の境界線があったけれど、今もそうかな?

ここカナダでは、日本の様なハッキリとした学年の境界線はありません。というか広いお国柄か、州によっても取り決めが違うんです。私が現在住んでいるカルガリーのあるアルバータ州の教育委員会のウェブサイトには、『3月1日以前に4歳になる児童は、その年の秋から幼稚園に入る事が出来る。しかし9月1日の時点で6歳になる児童は、その年の秋に小学校に入っていなければならない』と定められている。ところが、お隣のバンクーバーのあるブリティッシュコロンビア州では『その年に5歳になる児童のみ幼稚園に入園出来る』と。ややこしいでしょ?

カナダでは『幼稚園(キンダー)』は日本の年長さんと同じ。キンダー自体は義務教育では無いけれど、公立のキンダーだとタダだし、小学校への準備として行かせる親御さんが多い。反対に日本の年少さんに当たるプリスクールは、公立でもひと月150ドル弱(週2回、2時間)と少しお高め。なので、プリスクールに行かせずに、別にコミュニティーでやっているアートのクラスや、スポーツのクラスに子供を行かせる人も多いかな。

さて、上に挙げた『3月1日以前に4歳になる児童...』ということは、2月生まれの我がボンは、アルバータ州にいる間は、4歳でキンダーに入る事も、また5歳でキンダーに入る事も可能なのだ。ということは、4歳でキンダーに入園、そして1年後に小学校に5歳で入学する事も出来るし、または5歳までキンダー入園を待って、そして6歳で小学校を始める事も出来るし、もしくは、4歳でキンダー入園して2回キンダーに通って、6歳で小学校入学、って事も出来る。

実際に友達の長男は12月生まれ。彼は4歳でキンダーに入ったけれど、もう1年違うキンダーに通ってみてから6歳で小学校を始めようかな、と考えてるらしい。

キンダーでも半日教育で毎日というところもあれば、全日教育で毎日、というところもあるので、1年目は半日で2年目は全日にしたりも出来るのだ。

まずは始める時期で、チト悩む。私も相方も早生まれ。相方は3月の終わり生まれで、学年では一番若い部類だったそうな。でも、生まれつきガタイがデカイのでみんな年上ばかりにも関わらずクラスではいつも一番大きい方だったので苛められる事も無く、何の問題も無く行けたらしい。(頭脳面は覚えてないらしい)

我がボン、2歳目前にして、カナダの標準では、少し小さめ。日本の標準体型なのだけれど、カナダでは下から1割くらいのお痩せさん。背も、標準よりチト小さいかも。ま、背は、この年齢はシッカリ立ってくれんから図りにくいのだけどね。

でも、2歳にしては、そして一人っ子にしては、口は達者だし、理解も早い。だから早く入れても良いかな~?って気もするけれど、でも、『男の子はユックリ学校に入った方が良い』って意見も聞くし、迷うところ。

そして、学校制度もカナダは色々あって、私の住んでいる地域では
1. 普通の学校
2. モンテッソリー
3. トラディショナル・ラーニング・システム
4. フレンチ・イマージョン
5. スパニッシュ・イマージョン
6. チャイニーズ・イマージョン
と選択出来る。

とりあえず、カナダならではなのは、3から6かな。3は所謂、昔の教育法。こちらで、普通の学校と言うと、『生徒が主体』という教育が多く、生徒が色々と自分で経験して学んで行く、という感じなのだけれど、3は私たちが学んだ様に、先生が黒板を使って、教育をして行くって言う、昔ながらの教育法。結構、英語が、まだ苦手な家庭の人に人気かも。一般的にも、かなり人気が高くて、抽選のところが多いみたい。

そして4から6は、英語とともに英語以外の言語も使って教育を行う学校。最初は、あまり考えてなかったんだけど、最近になって考えているのが4のフレンチ・イマージョン。

フレンチ・イマージョンは、キンダーから2年までは100%フランス語のみで指導が行われるの。そして3年生から英語が授業に入って来て、年を追うごとに英語の比重が増えて行って、高校の2,3年には75%が英語で指導されるので、高校卒業時には英語もフランス語も完璧になる、はず。という学校の方式なのだ。

6のスパニッシュは、最初から英語とスペイン語半々で指導が行われるらしいから言語によって違うのね。ホント、カナダには日本人も多いし、日本語勉強している人も多いからジャパニーズ・イマージョンが出来てくれたら嬉しいのにねぇ。

ま、話は戻るのだけど、フレンチ・イマージョン。バンクーバーの友達の子供が入ってるのだけど、上の子は今3年かな?でも、やっぱり英語が強いみたい。フレンチ・イマージョンは、フランス語のインターナショナルスクールとは違って、父兄がフランス語が喋れない事前提だから、学校とのコミュニケーションは全て英語。やっぱり、学校で徹底してフランス語を入れても、友達同士のコミュニケーションは英語だし、家でも、普通のカナダの家庭では英語オンリーとなると、習得にはやっぱり少し時間がかかるのかな?

もともと相方は、第3言語の導入を嫌がってたんだけど、今回、南アフリカの里帰りにフランスによってから少し考えが変わったみたい。それにカナダの場合、もしもボンが将来、役人になりたいと思ったら、やっぱりフランス語が出来ないと昇進が難しいのだよね。

しかし、私たちがいつまでカルガリーにいるかどうか、今の所まだ未定なので、迷うのだよね。だって、例えば、ボンが小学校2年でアメリカ引越すとしよう。そしたら、彼の場合、英語で教育受けてないのだよね。それよりバンクーバーに引越す事になったら、学校を始める時期だって違うし。

フム、迷う、迷う。まだ2歳になるまで4日あるから、プレスクールに通う年齢までも、まだ少なくても1年半はある訳で、でも、1年半なんて、長い様で短いよねぇ?

ということで、相方のカルガリーでのプロジェクトも今年末には終了予定。半年後には、次の任地が決まってるかしら~。乞うご期待(笑)。

Saturday, December 18, 2010

Vol. 3 - No. 12

## はじめてのクリスマス ##



いやぁ、あっという間に師走!早いですね。もう日本の街はすっかりとクリスマス色一色なんだろうな~。こちらカルガリーもドンドンと街はカラフルな電灯で飾られて、それが雪の白さに映えて綺麗綺麗。

去年は青いライトが流行だったらしくって、良く見かけたけれど、やはり寒い地方に寒色のライトは頂けません。今年はまた『赤』と『緑』のクラシックなコントラストと黄色っぽい暖かい感じのライトが増えた様な気がする。

さて、海外に出てから、毎年クリスマスは色々なところに出かけたり、帰省したりして過ごしていたけれど、今年は何と初めての『お家クリスマス』。というもの、近年の航空運賃の高騰により、クリスマス前に海外渡航というのはとてもじゃないけれど、懐が寂し~って事になるのですよ。

なので、クリスマス近くで南アフリカ帰省のチケットを探したところ、クリスマス翌日出発のチケットが安い!ということで、今年はクリスマスをカルガリーで過ごし、翌日にアムステルダム、そしてパリ経由でヨハネスブルグに向かう事になりました。

「いや~、お家で過ごすクリスマスなんて、初めてやね~」と相方とノホホンと会話をしていたら、何と、ロサンゼルス在住のときの仲良しカップルがクリスマスから年始にかけてロッキーで過ごす、と言うではないですか。

当初の予定では、彼らはクリスマス当日にカルガリーについて、そこからレイクルイーズへ向かう予定だったのですが、私たちがクリスマス翌日から出て、1月の中旬まで戻って来ないという事で、1日予定を早めて、クリスマスイブにカルガリー入りをし、そして我が家に泊まって、翌日のクリスマス当日の午後にレイクルイーズへ行くシャトルバスに乗る事に。

イヤ~嬉しい!

しかし、すぐ後に現実的な悩みが...

初めてのお家クリスマス。いやぁ、どうやっておもてなしするよ?今まで産まれてから一度もクリスマスパーティーのホストになった事の無い、私と相方。

え、クリスマスってどうやって祝う?クリスマスイブの夜と、クリスマスの日の朝とお昼を一緒に過ごすのに、何もしない訳にイカンやんね?

え、ごはんどうする?

とりあえずは、クリスマスイブは外食しようという事で、レストランを探すも、有名レストランは既に予約でいっぱい。結局はカルガリータワーの上にある回るレストランの予約が取れて、イブの夜はオッケー。

さて、クリスマス当日。どうする?普通は、クリスマスランチが大きいランチなんだよね。やっぱりターキー焼く?でも、私と相方のターキーなんて、1回実験的に焼いただけで、実用には向かんという事で、焼いてないぞ。プラスでその次の日から3週間も留守にするから残り物は困るぞ。

やっぱりツリーの飾り付けもせなアカンよね。一応ツリーはあるけれど、飾りは足りるかな?一度だけ、飾ったんだけれど、それは、クリスマスに人がいると見せかける為のセキュリティー目的で飾ったから(私ら全員、お出かけしてたからタイマー仕掛け)楽しむ為のものじゃなかったんよね。

と、ここまで書いた後に、ツリーを飾ってみた。そしたら、タグがついたまま。トホホ、情けない。やっぱり飾りは足りなかったので、近所の大型店に走って、買いました。やっと、クリスマスツリー完成。最初に完成した時には興味を示さなかった息子も、今回はキラキラ度が充分だったか、「キラキラ~」「きれい~」と言ってくれました。

いやぁ、それにしても、まだまだ問題山積み。今度の家は暖炉無いから、どこにクリスマスストッキング置く?とかストッキングスタッファーはどうする?とか色々色々ね。

今まで色んな家庭のホストするクリスマスパーティーにおよばれしてたけれど、ホストするって、大変なのね~。嗚呼どうしよう。海外生活16年目にして訪れた難関でごじゃります。ま、何はともあれクリスマス。楽しくハッピーに笑顔とともに迎えて笑顔とともに去って行けば良いな。

では、皆さんも師走の忙しい時期ですが、素敵な年末年始をお迎えください。また来年も宜しくお願い致します。

Wednesday, November 24, 2010

Vol. 3 - No. 11

## 日本と日本語 ##



さてさて、こちらカルガリーは、かなりの雪に見舞われております。今朝の気温はマイナス17度。明日は、もう少し下がって、マイナス20度台になるそうな。いやいや、カルガリーでは別に不思議な事ではないのだけれど、なんせ一昨日、日本から戻って来たばかり。何だか時差ボケのボケた体には信じがたい気候なり。

さて今回の里帰りでは、日本語の環境が与える息子への日本語能力習得への影響を「これでもか!」という程見せつけられた。日系のお子さんを持つお母さん達から聞いていたものの、ここまでだとは思わなかった。なんせ、ウチの息子、まだ2歳にもならんしね。

里帰り前は、言葉は出ていたけれど、単語を発するって感じだったのだけれど、日本について、何と2日目には2語文が飛び出した。あれよあれよと言う間にそれがセンテンスに。何だか堰を切って色んな言葉が飛び出して来たという感じ。

例えば、今まで「くるま」とか「あーとう(ありがとう)」、「ひこうき」とか言う言葉を発していたのが、今では「あ、くるまどこだ~?」「あ、くるまいた」とか「ひこうきのんのする」とか言うの。

ウチの両親の家は、離れに姉家族が住んでいる。姉には15歳と10歳の息子がいる。特に10歳の甥は、昔から弟が欲しかったから、うちの息子の面倒を本当に良く見てくれる。どうも、ウチの息子は、その男系家族が気に入った様子。それも日本語が伸びた要因と思われる。

カルガリーにいる間は、お友達の名前も覚えてなかったし、って言うか、人に名前がそれぞれあるって言う事実に気づいてなかった様子。自分の名前に関しても、どうも、何かの動詞だと思っていた様な感じ。

それが、日本に着いたら、みんなが息子の名前を呼ぶもんだから、「お、これはどうやら俺の事を指してるな」と気づいたらしい。一旦、それに気づいたら、ウチの家族みんなの名前を覚えるのはホントに早かった。で、名前で呼べば返事をしてくれるものだから、またそれが楽しかったらしい。ツボにはまったのか、用事もないのに、全員の名前を片っ端から連呼し楽しんでた。

その他のメジャーな発達と言えば、乗り物に対する愛情を深めた事。日本へ飛び立つ前も、それはそれで、車や飛行機などは好きな方だったけれど、甥のミニカーのコレクションを見るや否や、ボッと、その愛情に火がついたらしい。

もともと姉の長男も、類を見ない車好きで、1歳過ぎで車のカタログを渡したら、かなり長い間1人でそのカタログをページごとにチェックして行き、3歳くらいの頃には道を走る車の名前や年式を次から次へと叫んで行くし、タイヤのホイールを見たいから車の座席に座るのを拒んで、じっと観察してる様な子だった。だから、ウチの母や姉が彼の為に購入したミニカーコレクションはスゴいもので、半分以上処分したという割に、引き出しいっぱいのミニカーのコレクション。さすがに甥も、既に15歳だし、全くミニカーに対して興味も無いので、すべてウチの息子に受け継がれる事になった。

話を元に戻すが、もう、本当に乗り物達が好きになったらしくって、夜泣きの時にも「飛行機!」とか「車、のんの!」とか、脈略も無く叫ぶ感じ。まぁ、刺激も強かったから、ついて数日は時差ボケも手伝って結構激しく夜泣きをされたのだけれど、さすがに最初に「飛行機!」と叫ばれた時には、少しコミカルで笑ってしまった。

3週間強の滞在で、すっかりセンテンスで日本語を話す様になり、「すごいなぁ!」と思いつつ、前よりも要求がハッキリ分かるので「面倒くさいなぁ」と思う事も無きにしもあらず(苦笑)。なんせ、食事の用意をしていても「ママ、おいで~」とか、相方が抱き上げようとすると「ダディ、あっち。ママ、抱っこ」とか、ね。プラスで「オッパイ飲む~!」と街中で大声で叫ばれた日にゃぁ、笑わなしゃーない。

問題は、この日本語能力をどこまで維持して行くか。両親とは時間を決めて、出来るだけ1週間に1度はスカイプで話そう、と決めた。後は、日本語のテレビを見せる事。そして日本語を話すお友達と一緒に遊ぶ事。それだけやっても、学校に行きだしたら、英語に取って代わられるんやろうなぁ、と寂しく思いつつ、とりあえずは日本語で話す事が出来る様に、出来るだけ頻繁に日本へ帰ろうと、思ったのでありました。

ではでは、もうしばらくの間、紅葉を楽しんで下さいませ!

Wednesday, September 15, 2010

Vol. 3 - No. 10

## 想い出 ##



さて9月。

8月の初旬に、ヨハネスブルグからカルガリーに戻って来たけれど、冬のヨハネスブルグの日中の方が、夏のカルガリー日中より暖かかった。まさか、冗談では言っていたけれど、ホントに今年のカルガリー、冷夏だったみたい。

9月の今、数日おきに雨がふり、朝晩は10℃を下回る気温。日本の酷暑を考えると、足して2で割りたい気分。

8月初旬にカルガリーに戻って来たって書いたけれど、その2週間後に相方のお母さんが突然他界した。大好きだったお義母さん、そのあったかくでユーモア抜群の彼女のお葬式に、是が非でも出たいと思っていたけれど、やっぱり我が家のボンの肉体的ストレスを考えると、得策では無いと夫婦で一致して、相方のみ、またもや機上の人に。

私は祖母を、相方のお義母さんと同じ様に、思いもかけないタイミングで亡くした。その日、母が忙しくって、母は祖母に私と姉を託して出かけた。祖母と一緒に目医者に行って、その後は、姉が免許を取ったので、叔母も誘って女4人でランチに行った。その日行ったのはステーキハウス。

ランチのステーキをガッツリ食べて、楽しく歓談。祖母もいつもよりハイペースでステーキをぺろりと平らげて、で、最後のお勘定は叔母が持ち、私はトイレへ。祖母は一足先に外へ出る、と出口へ向かった。

私がトイレから出てくると、出口の方から女の人が「すみません!ちょっと誰か!」と。すると出口の方にいた叔母の「お母さん...」との声。

出て行ってみると、50代くらいの女性に祖母が抱えられている。慌てて、姉と私が走って祖母を支える。「重たいな~」と思いながらも、初めて救急車に乗れるんだって言う好奇心を抑える事が出来なくって、少しワクワク。

救急車が先に到着したのか、近くの獣医さんが先に到着したのか覚えてないけれど、次に覚えているのは、祖母が階段のところで座る形になって、そして既に息絶えている事を知らされた事。

救急車には既に死亡した人は乗せられないので、家へ戻る足は自分たちで確保しないといけないと言われ、慌てて、従姉妹が叔父の勤める病院に電話した事。祖父の病院に電話して祖母が亡くなった事を伝えるけれど、なかなか事情が把握出来ない祖父。

姉と家に帰って来たは良いけれど、母になんて連絡すべきか途方に暮れる私たち。父に電話して状況を伝え、その後、母に電話。元気な声で電話口に出て来る母に事情が伝えられず、「おばあちゃんが具合悪いから帰って来て」とだけ言って帰って来てもらった筈。その辺りは、結構あやふや。

そして母が戻って、タクシーで一緒に祖母の家に向かう時に、多分、母に問いただされて、祖母が亡くなった事を告げた気がする。鮮明に覚えているのは、祖母宅について、母が家に駆け込んで行って、そして聞こえた「お母ちゃん!」という哀しい叫び。

お葬式の時に、祖母を支えた事でなった腕の筋肉痛が空しかったっけ。

今回のお義母さんの突然の他界も、そのときの「え、噓でしょ?」という何かがスポッと抜けた様な、そんな感覚。8月に、一緒に笑って、そして大きい手術を乗り越えて、退院して、回復に向かって、その間もずうっとユーモアを忘れない彼女だったのに。

帰って来て2週間、簡単な手術後の抜糸的な簡単な手術で入院した彼女。麻酔から一旦覚めて、家族みんなと談笑し、みんなが帰ったその後に、脳内出血を起こした。そのまま2日間意識が戻らず、そして他界。

祖母のお葬式でお経を上げてくれたお坊さんが、「こういう突然の他界は周りの人には寂しいけれど、本人にとっては楽しい想い出ばかりで思い出してもらえるから、良い事をした人じゃないと、こういう風には逝けないんですよ」と言った通り、確かに寂しいけれど、そうだなって思う。

海外に住むという事。それは、こういう突然の別れに立ち会えない覚悟をしなければイケナイ。相方も私も故郷からは遠い。だからこそ、出来る時に親孝行はしないといけないと心から思う。ドンドン航空運賃も高騰してるし、子連れでの長旅はしんどいけれど、それでも、出来る時に出来る限りやっていこう。

そんな事を、何度もなんども考えた秋の夜長でした。

それでは、みなさんも残暑厳しきおり、お体には気をつけて。