## 想い出 ##
さて9月。
8月の初旬に、ヨハネスブルグからカルガリーに戻って来たけれど、冬のヨハネスブルグの日中の方が、夏のカルガリー日中より暖かかった。まさか、冗談では言っていたけれど、ホントに今年のカルガリー、冷夏だったみたい。
9月の今、数日おきに雨がふり、朝晩は10℃を下回る気温。日本の酷暑を考えると、足して2で割りたい気分。
8月初旬にカルガリーに戻って来たって書いたけれど、その2週間後に相方のお母さんが突然他界した。大好きだったお義母さん、そのあったかくでユーモア抜群の彼女のお葬式に、是が非でも出たいと思っていたけれど、やっぱり我が家のボンの肉体的ストレスを考えると、得策では無いと夫婦で一致して、相方のみ、またもや機上の人に。
私は祖母を、相方のお義母さんと同じ様に、思いもかけないタイミングで亡くした。その日、母が忙しくって、母は祖母に私と姉を託して出かけた。祖母と一緒に目医者に行って、その後は、姉が免許を取ったので、叔母も誘って女4人でランチに行った。その日行ったのはステーキハウス。
ランチのステーキをガッツリ食べて、楽しく歓談。祖母もいつもよりハイペースでステーキをぺろりと平らげて、で、最後のお勘定は叔母が持ち、私はトイレへ。祖母は一足先に外へ出る、と出口へ向かった。
私がトイレから出てくると、出口の方から女の人が「すみません!ちょっと誰か!」と。すると出口の方にいた叔母の「お母さん...」との声。
出て行ってみると、50代くらいの女性に祖母が抱えられている。慌てて、姉と私が走って祖母を支える。「重たいな~」と思いながらも、初めて救急車に乗れるんだって言う好奇心を抑える事が出来なくって、少しワクワク。
救急車が先に到着したのか、近くの獣医さんが先に到着したのか覚えてないけれど、次に覚えているのは、祖母が階段のところで座る形になって、そして既に息絶えている事を知らされた事。
救急車には既に死亡した人は乗せられないので、家へ戻る足は自分たちで確保しないといけないと言われ、慌てて、従姉妹が叔父の勤める病院に電話した事。祖父の病院に電話して祖母が亡くなった事を伝えるけれど、なかなか事情が把握出来ない祖父。
姉と家に帰って来たは良いけれど、母になんて連絡すべきか途方に暮れる私たち。父に電話して状況を伝え、その後、母に電話。元気な声で電話口に出て来る母に事情が伝えられず、「おばあちゃんが具合悪いから帰って来て」とだけ言って帰って来てもらった筈。その辺りは、結構あやふや。
そして母が戻って、タクシーで一緒に祖母の家に向かう時に、多分、母に問いただされて、祖母が亡くなった事を告げた気がする。鮮明に覚えているのは、祖母宅について、母が家に駆け込んで行って、そして聞こえた「お母ちゃん!」という哀しい叫び。
お葬式の時に、祖母を支えた事でなった腕の筋肉痛が空しかったっけ。
今回のお義母さんの突然の他界も、そのときの「え、噓でしょ?」という何かがスポッと抜けた様な、そんな感覚。8月に、一緒に笑って、そして大きい手術を乗り越えて、退院して、回復に向かって、その間もずうっとユーモアを忘れない彼女だったのに。
帰って来て2週間、簡単な手術後の抜糸的な簡単な手術で入院した彼女。麻酔から一旦覚めて、家族みんなと談笑し、みんなが帰ったその後に、脳内出血を起こした。そのまま2日間意識が戻らず、そして他界。
祖母のお葬式でお経を上げてくれたお坊さんが、「こういう突然の他界は周りの人には寂しいけれど、本人にとっては楽しい想い出ばかりで思い出してもらえるから、良い事をした人じゃないと、こういう風には逝けないんですよ」と言った通り、確かに寂しいけれど、そうだなって思う。
海外に住むという事。それは、こういう突然の別れに立ち会えない覚悟をしなければイケナイ。相方も私も故郷からは遠い。だからこそ、出来る時に親孝行はしないといけないと心から思う。ドンドン航空運賃も高騰してるし、子連れでの長旅はしんどいけれど、それでも、出来る時に出来る限りやっていこう。
そんな事を、何度もなんども考えた秋の夜長でした。
それでは、みなさんも残暑厳しきおり、お体には気をつけて。
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