## どうしようかな ##
遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。新年の初投稿はバレンタインデーの翌日となりました。みなさん、素敵なお正月にバレンタインデーをおくられました?
ご存知の方も多いと思いますが、他の多くの外国と同じ様にカナダも、バレンタインデーというと『女性から男性に』というよりも、『大切な人に』自分の心を伝える日であります。
残念ながら、ウチの相方、記念日という記念日を全て忘れてしまう性分なので、今年のバレンタインデーもカードのひとつも無いやろなぁ、と思いつつ。
例年は、チョコ中毒の相方の為に、チョコレートものを何か用意するのですが、今年はそれも無し。というのも、相方の血を引いたのか、ウチのボンもチョコ中毒。まだ2歳にならないというのに、既に相方のチョコレートを食べる日々が続き、ついに虫歯に。
ということで、ボンがチャンと歯が磨ける様になるまで、そして、歯医者でチャンと座って口を開けれる日が来るまで、我が家ではチョコレートやジュースと言った甘味ものは封印する事に。
ということで、今年のバレンタインデーは本をそれぞれにゲットする事に致しました。
さて、今回のタイトル『どうしようかな』。これは、ボンの教育に関しての事。
カナダでは、アメリカと同様、9月から新学年が始まります。日本では、私の時代では、4月1日と4月2日の間に学年の境界線があったけれど、今もそうかな?
ここカナダでは、日本の様なハッキリとした学年の境界線はありません。というか広いお国柄か、州によっても取り決めが違うんです。私が現在住んでいるカルガリーのあるアルバータ州の教育委員会のウェブサイトには、『3月1日以前に4歳になる児童は、その年の秋から幼稚園に入る事が出来る。しかし9月1日の時点で6歳になる児童は、その年の秋に小学校に入っていなければならない』と定められている。ところが、お隣のバンクーバーのあるブリティッシュコロンビア州では『その年に5歳になる児童のみ幼稚園に入園出来る』と。ややこしいでしょ?
カナダでは『幼稚園(キンダー)』は日本の年長さんと同じ。キンダー自体は義務教育では無いけれど、公立のキンダーだとタダだし、小学校への準備として行かせる親御さんが多い。反対に日本の年少さんに当たるプリスクールは、公立でもひと月150ドル弱(週2回、2時間)と少しお高め。なので、プリスクールに行かせずに、別にコミュニティーでやっているアートのクラスや、スポーツのクラスに子供を行かせる人も多いかな。
さて、上に挙げた『3月1日以前に4歳になる児童...』ということは、2月生まれの我がボンは、アルバータ州にいる間は、4歳でキンダーに入る事も、また5歳でキンダーに入る事も可能なのだ。ということは、4歳でキンダーに入園、そして1年後に小学校に5歳で入学する事も出来るし、または5歳までキンダー入園を待って、そして6歳で小学校を始める事も出来るし、もしくは、4歳でキンダー入園して2回キンダーに通って、6歳で小学校入学、って事も出来る。
実際に友達の長男は12月生まれ。彼は4歳でキンダーに入ったけれど、もう1年違うキンダーに通ってみてから6歳で小学校を始めようかな、と考えてるらしい。
キンダーでも半日教育で毎日というところもあれば、全日教育で毎日、というところもあるので、1年目は半日で2年目は全日にしたりも出来るのだ。
まずは始める時期で、チト悩む。私も相方も早生まれ。相方は3月の終わり生まれで、学年では一番若い部類だったそうな。でも、生まれつきガタイがデカイのでみんな年上ばかりにも関わらずクラスではいつも一番大きい方だったので苛められる事も無く、何の問題も無く行けたらしい。(頭脳面は覚えてないらしい)
我がボン、2歳目前にして、カナダの標準では、少し小さめ。日本の標準体型なのだけれど、カナダでは下から1割くらいのお痩せさん。背も、標準よりチト小さいかも。ま、背は、この年齢はシッカリ立ってくれんから図りにくいのだけどね。
でも、2歳にしては、そして一人っ子にしては、口は達者だし、理解も早い。だから早く入れても良いかな~?って気もするけれど、でも、『男の子はユックリ学校に入った方が良い』って意見も聞くし、迷うところ。
そして、学校制度もカナダは色々あって、私の住んでいる地域では
1. 普通の学校
2. モンテッソリー
3. トラディショナル・ラーニング・システム
4. フレンチ・イマージョン
5. スパニッシュ・イマージョン
6. チャイニーズ・イマージョン
と選択出来る。
とりあえず、カナダならではなのは、3から6かな。3は所謂、昔の教育法。こちらで、普通の学校と言うと、『生徒が主体』という教育が多く、生徒が色々と自分で経験して学んで行く、という感じなのだけれど、3は私たちが学んだ様に、先生が黒板を使って、教育をして行くって言う、昔ながらの教育法。結構、英語が、まだ苦手な家庭の人に人気かも。一般的にも、かなり人気が高くて、抽選のところが多いみたい。
そして4から6は、英語とともに英語以外の言語も使って教育を行う学校。最初は、あまり考えてなかったんだけど、最近になって考えているのが4のフレンチ・イマージョン。
フレンチ・イマージョンは、キンダーから2年までは100%フランス語のみで指導が行われるの。そして3年生から英語が授業に入って来て、年を追うごとに英語の比重が増えて行って、高校の2,3年には75%が英語で指導されるので、高校卒業時には英語もフランス語も完璧になる、はず。という学校の方式なのだ。
6のスパニッシュは、最初から英語とスペイン語半々で指導が行われるらしいから言語によって違うのね。ホント、カナダには日本人も多いし、日本語勉強している人も多いからジャパニーズ・イマージョンが出来てくれたら嬉しいのにねぇ。
ま、話は戻るのだけど、フレンチ・イマージョン。バンクーバーの友達の子供が入ってるのだけど、上の子は今3年かな?でも、やっぱり英語が強いみたい。フレンチ・イマージョンは、フランス語のインターナショナルスクールとは違って、父兄がフランス語が喋れない事前提だから、学校とのコミュニケーションは全て英語。やっぱり、学校で徹底してフランス語を入れても、友達同士のコミュニケーションは英語だし、家でも、普通のカナダの家庭では英語オンリーとなると、習得にはやっぱり少し時間がかかるのかな?
もともと相方は、第3言語の導入を嫌がってたんだけど、今回、南アフリカの里帰りにフランスによってから少し考えが変わったみたい。それにカナダの場合、もしもボンが将来、役人になりたいと思ったら、やっぱりフランス語が出来ないと昇進が難しいのだよね。
しかし、私たちがいつまでカルガリーにいるかどうか、今の所まだ未定なので、迷うのだよね。だって、例えば、ボンが小学校2年でアメリカ引越すとしよう。そしたら、彼の場合、英語で教育受けてないのだよね。それよりバンクーバーに引越す事になったら、学校を始める時期だって違うし。
フム、迷う、迷う。まだ2歳になるまで4日あるから、プレスクールに通う年齢までも、まだ少なくても1年半はある訳で、でも、1年半なんて、長い様で短いよねぇ?
ということで、相方のカルガリーでのプロジェクトも今年末には終了予定。半年後には、次の任地が決まってるかしら~。乞うご期待(笑)。
Tuesday, February 15, 2011
Saturday, December 18, 2010
Vol. 3 - No. 12
## はじめてのクリスマス ##
いやぁ、あっという間に師走!早いですね。もう日本の街はすっかりとクリスマス色一色なんだろうな~。こちらカルガリーもドンドンと街はカラフルな電灯で飾られて、それが雪の白さに映えて綺麗綺麗。
去年は青いライトが流行だったらしくって、良く見かけたけれど、やはり寒い地方に寒色のライトは頂けません。今年はまた『赤』と『緑』のクラシックなコントラストと黄色っぽい暖かい感じのライトが増えた様な気がする。
さて、海外に出てから、毎年クリスマスは色々なところに出かけたり、帰省したりして過ごしていたけれど、今年は何と初めての『お家クリスマス』。というもの、近年の航空運賃の高騰により、クリスマス前に海外渡航というのはとてもじゃないけれど、懐が寂し~って事になるのですよ。
なので、クリスマス近くで南アフリカ帰省のチケットを探したところ、クリスマス翌日出発のチケットが安い!ということで、今年はクリスマスをカルガリーで過ごし、翌日にアムステルダム、そしてパリ経由でヨハネスブルグに向かう事になりました。
「いや~、お家で過ごすクリスマスなんて、初めてやね~」と相方とノホホンと会話をしていたら、何と、ロサンゼルス在住のときの仲良しカップルがクリスマスから年始にかけてロッキーで過ごす、と言うではないですか。
当初の予定では、彼らはクリスマス当日にカルガリーについて、そこからレイクルイーズへ向かう予定だったのですが、私たちがクリスマス翌日から出て、1月の中旬まで戻って来ないという事で、1日予定を早めて、クリスマスイブにカルガリー入りをし、そして我が家に泊まって、翌日のクリスマス当日の午後にレイクルイーズへ行くシャトルバスに乗る事に。
イヤ~嬉しい!
しかし、すぐ後に現実的な悩みが...
初めてのお家クリスマス。いやぁ、どうやっておもてなしするよ?今まで産まれてから一度もクリスマスパーティーのホストになった事の無い、私と相方。
え、クリスマスってどうやって祝う?クリスマスイブの夜と、クリスマスの日の朝とお昼を一緒に過ごすのに、何もしない訳にイカンやんね?
え、ごはんどうする?
とりあえずは、クリスマスイブは外食しようという事で、レストランを探すも、有名レストランは既に予約でいっぱい。結局はカルガリータワーの上にある回るレストランの予約が取れて、イブの夜はオッケー。
さて、クリスマス当日。どうする?普通は、クリスマスランチが大きいランチなんだよね。やっぱりターキー焼く?でも、私と相方のターキーなんて、1回実験的に焼いただけで、実用には向かんという事で、焼いてないぞ。プラスでその次の日から3週間も留守にするから残り物は困るぞ。
やっぱりツリーの飾り付けもせなアカンよね。一応ツリーはあるけれど、飾りは足りるかな?一度だけ、飾ったんだけれど、それは、クリスマスに人がいると見せかける為のセキュリティー目的で飾ったから(私ら全員、お出かけしてたからタイマー仕掛け)楽しむ為のものじゃなかったんよね。
と、ここまで書いた後に、ツリーを飾ってみた。そしたら、タグがついたまま。トホホ、情けない。やっぱり飾りは足りなかったので、近所の大型店に走って、買いました。やっと、クリスマスツリー完成。最初に完成した時には興味を示さなかった息子も、今回はキラキラ度が充分だったか、「キラキラ~」「きれい~」と言ってくれました。
いやぁ、それにしても、まだまだ問題山積み。今度の家は暖炉無いから、どこにクリスマスストッキング置く?とかストッキングスタッファーはどうする?とか色々色々ね。
今まで色んな家庭のホストするクリスマスパーティーにおよばれしてたけれど、ホストするって、大変なのね~。嗚呼どうしよう。海外生活16年目にして訪れた難関でごじゃります。ま、何はともあれクリスマス。楽しくハッピーに笑顔とともに迎えて笑顔とともに去って行けば良いな。
では、皆さんも師走の忙しい時期ですが、素敵な年末年始をお迎えください。また来年も宜しくお願い致します。
いやぁ、あっという間に師走!早いですね。もう日本の街はすっかりとクリスマス色一色なんだろうな~。こちらカルガリーもドンドンと街はカラフルな電灯で飾られて、それが雪の白さに映えて綺麗綺麗。
去年は青いライトが流行だったらしくって、良く見かけたけれど、やはり寒い地方に寒色のライトは頂けません。今年はまた『赤』と『緑』のクラシックなコントラストと黄色っぽい暖かい感じのライトが増えた様な気がする。
さて、海外に出てから、毎年クリスマスは色々なところに出かけたり、帰省したりして過ごしていたけれど、今年は何と初めての『お家クリスマス』。というもの、近年の航空運賃の高騰により、クリスマス前に海外渡航というのはとてもじゃないけれど、懐が寂し~って事になるのですよ。
なので、クリスマス近くで南アフリカ帰省のチケットを探したところ、クリスマス翌日出発のチケットが安い!ということで、今年はクリスマスをカルガリーで過ごし、翌日にアムステルダム、そしてパリ経由でヨハネスブルグに向かう事になりました。
「いや~、お家で過ごすクリスマスなんて、初めてやね~」と相方とノホホンと会話をしていたら、何と、ロサンゼルス在住のときの仲良しカップルがクリスマスから年始にかけてロッキーで過ごす、と言うではないですか。
当初の予定では、彼らはクリスマス当日にカルガリーについて、そこからレイクルイーズへ向かう予定だったのですが、私たちがクリスマス翌日から出て、1月の中旬まで戻って来ないという事で、1日予定を早めて、クリスマスイブにカルガリー入りをし、そして我が家に泊まって、翌日のクリスマス当日の午後にレイクルイーズへ行くシャトルバスに乗る事に。
イヤ~嬉しい!
しかし、すぐ後に現実的な悩みが...
初めてのお家クリスマス。いやぁ、どうやっておもてなしするよ?今まで産まれてから一度もクリスマスパーティーのホストになった事の無い、私と相方。
え、クリスマスってどうやって祝う?クリスマスイブの夜と、クリスマスの日の朝とお昼を一緒に過ごすのに、何もしない訳にイカンやんね?
え、ごはんどうする?
とりあえずは、クリスマスイブは外食しようという事で、レストランを探すも、有名レストランは既に予約でいっぱい。結局はカルガリータワーの上にある回るレストランの予約が取れて、イブの夜はオッケー。
さて、クリスマス当日。どうする?普通は、クリスマスランチが大きいランチなんだよね。やっぱりターキー焼く?でも、私と相方のターキーなんて、1回実験的に焼いただけで、実用には向かんという事で、焼いてないぞ。プラスでその次の日から3週間も留守にするから残り物は困るぞ。
やっぱりツリーの飾り付けもせなアカンよね。一応ツリーはあるけれど、飾りは足りるかな?一度だけ、飾ったんだけれど、それは、クリスマスに人がいると見せかける為のセキュリティー目的で飾ったから(私ら全員、お出かけしてたからタイマー仕掛け)楽しむ為のものじゃなかったんよね。
と、ここまで書いた後に、ツリーを飾ってみた。そしたら、タグがついたまま。トホホ、情けない。やっぱり飾りは足りなかったので、近所の大型店に走って、買いました。やっと、クリスマスツリー完成。最初に完成した時には興味を示さなかった息子も、今回はキラキラ度が充分だったか、「キラキラ~」「きれい~」と言ってくれました。
いやぁ、それにしても、まだまだ問題山積み。今度の家は暖炉無いから、どこにクリスマスストッキング置く?とかストッキングスタッファーはどうする?とか色々色々ね。
今まで色んな家庭のホストするクリスマスパーティーにおよばれしてたけれど、ホストするって、大変なのね~。嗚呼どうしよう。海外生活16年目にして訪れた難関でごじゃります。ま、何はともあれクリスマス。楽しくハッピーに笑顔とともに迎えて笑顔とともに去って行けば良いな。
では、皆さんも師走の忙しい時期ですが、素敵な年末年始をお迎えください。また来年も宜しくお願い致します。
Wednesday, November 24, 2010
Vol. 3 - No. 11
## 日本と日本語 ##
さてさて、こちらカルガリーは、かなりの雪に見舞われております。今朝の気温はマイナス17度。明日は、もう少し下がって、マイナス20度台になるそうな。いやいや、カルガリーでは別に不思議な事ではないのだけれど、なんせ一昨日、日本から戻って来たばかり。何だか時差ボケのボケた体には信じがたい気候なり。
さて今回の里帰りでは、日本語の環境が与える息子への日本語能力習得への影響を「これでもか!」という程見せつけられた。日系のお子さんを持つお母さん達から聞いていたものの、ここまでだとは思わなかった。なんせ、ウチの息子、まだ2歳にもならんしね。
里帰り前は、言葉は出ていたけれど、単語を発するって感じだったのだけれど、日本について、何と2日目には2語文が飛び出した。あれよあれよと言う間にそれがセンテンスに。何だか堰を切って色んな言葉が飛び出して来たという感じ。
例えば、今まで「くるま」とか「あーとう(ありがとう)」、「ひこうき」とか言う言葉を発していたのが、今では「あ、くるまどこだ~?」「あ、くるまいた」とか「ひこうきのんのする」とか言うの。
ウチの両親の家は、離れに姉家族が住んでいる。姉には15歳と10歳の息子がいる。特に10歳の甥は、昔から弟が欲しかったから、うちの息子の面倒を本当に良く見てくれる。どうも、ウチの息子は、その男系家族が気に入った様子。それも日本語が伸びた要因と思われる。
カルガリーにいる間は、お友達の名前も覚えてなかったし、って言うか、人に名前がそれぞれあるって言う事実に気づいてなかった様子。自分の名前に関しても、どうも、何かの動詞だと思っていた様な感じ。
それが、日本に着いたら、みんなが息子の名前を呼ぶもんだから、「お、これはどうやら俺の事を指してるな」と気づいたらしい。一旦、それに気づいたら、ウチの家族みんなの名前を覚えるのはホントに早かった。で、名前で呼べば返事をしてくれるものだから、またそれが楽しかったらしい。ツボにはまったのか、用事もないのに、全員の名前を片っ端から連呼し楽しんでた。
その他のメジャーな発達と言えば、乗り物に対する愛情を深めた事。日本へ飛び立つ前も、それはそれで、車や飛行機などは好きな方だったけれど、甥のミニカーのコレクションを見るや否や、ボッと、その愛情に火がついたらしい。
もともと姉の長男も、類を見ない車好きで、1歳過ぎで車のカタログを渡したら、かなり長い間1人でそのカタログをページごとにチェックして行き、3歳くらいの頃には道を走る車の名前や年式を次から次へと叫んで行くし、タイヤのホイールを見たいから車の座席に座るのを拒んで、じっと観察してる様な子だった。だから、ウチの母や姉が彼の為に購入したミニカーコレクションはスゴいもので、半分以上処分したという割に、引き出しいっぱいのミニカーのコレクション。さすがに甥も、既に15歳だし、全くミニカーに対して興味も無いので、すべてウチの息子に受け継がれる事になった。
話を元に戻すが、もう、本当に乗り物達が好きになったらしくって、夜泣きの時にも「飛行機!」とか「車、のんの!」とか、脈略も無く叫ぶ感じ。まぁ、刺激も強かったから、ついて数日は時差ボケも手伝って結構激しく夜泣きをされたのだけれど、さすがに最初に「飛行機!」と叫ばれた時には、少しコミカルで笑ってしまった。
3週間強の滞在で、すっかりセンテンスで日本語を話す様になり、「すごいなぁ!」と思いつつ、前よりも要求がハッキリ分かるので「面倒くさいなぁ」と思う事も無きにしもあらず(苦笑)。なんせ、食事の用意をしていても「ママ、おいで~」とか、相方が抱き上げようとすると「ダディ、あっち。ママ、抱っこ」とか、ね。プラスで「オッパイ飲む~!」と街中で大声で叫ばれた日にゃぁ、笑わなしゃーない。
問題は、この日本語能力をどこまで維持して行くか。両親とは時間を決めて、出来るだけ1週間に1度はスカイプで話そう、と決めた。後は、日本語のテレビを見せる事。そして日本語を話すお友達と一緒に遊ぶ事。それだけやっても、学校に行きだしたら、英語に取って代わられるんやろうなぁ、と寂しく思いつつ、とりあえずは日本語で話す事が出来る様に、出来るだけ頻繁に日本へ帰ろうと、思ったのでありました。
ではでは、もうしばらくの間、紅葉を楽しんで下さいませ!
さてさて、こちらカルガリーは、かなりの雪に見舞われております。今朝の気温はマイナス17度。明日は、もう少し下がって、マイナス20度台になるそうな。いやいや、カルガリーでは別に不思議な事ではないのだけれど、なんせ一昨日、日本から戻って来たばかり。何だか時差ボケのボケた体には信じがたい気候なり。
さて今回の里帰りでは、日本語の環境が与える息子への日本語能力習得への影響を「これでもか!」という程見せつけられた。日系のお子さんを持つお母さん達から聞いていたものの、ここまでだとは思わなかった。なんせ、ウチの息子、まだ2歳にもならんしね。
里帰り前は、言葉は出ていたけれど、単語を発するって感じだったのだけれど、日本について、何と2日目には2語文が飛び出した。あれよあれよと言う間にそれがセンテンスに。何だか堰を切って色んな言葉が飛び出して来たという感じ。
例えば、今まで「くるま」とか「あーとう(ありがとう)」、「ひこうき」とか言う言葉を発していたのが、今では「あ、くるまどこだ~?」「あ、くるまいた」とか「ひこうきのんのする」とか言うの。
ウチの両親の家は、離れに姉家族が住んでいる。姉には15歳と10歳の息子がいる。特に10歳の甥は、昔から弟が欲しかったから、うちの息子の面倒を本当に良く見てくれる。どうも、ウチの息子は、その男系家族が気に入った様子。それも日本語が伸びた要因と思われる。
カルガリーにいる間は、お友達の名前も覚えてなかったし、って言うか、人に名前がそれぞれあるって言う事実に気づいてなかった様子。自分の名前に関しても、どうも、何かの動詞だと思っていた様な感じ。
それが、日本に着いたら、みんなが息子の名前を呼ぶもんだから、「お、これはどうやら俺の事を指してるな」と気づいたらしい。一旦、それに気づいたら、ウチの家族みんなの名前を覚えるのはホントに早かった。で、名前で呼べば返事をしてくれるものだから、またそれが楽しかったらしい。ツボにはまったのか、用事もないのに、全員の名前を片っ端から連呼し楽しんでた。
その他のメジャーな発達と言えば、乗り物に対する愛情を深めた事。日本へ飛び立つ前も、それはそれで、車や飛行機などは好きな方だったけれど、甥のミニカーのコレクションを見るや否や、ボッと、その愛情に火がついたらしい。
もともと姉の長男も、類を見ない車好きで、1歳過ぎで車のカタログを渡したら、かなり長い間1人でそのカタログをページごとにチェックして行き、3歳くらいの頃には道を走る車の名前や年式を次から次へと叫んで行くし、タイヤのホイールを見たいから車の座席に座るのを拒んで、じっと観察してる様な子だった。だから、ウチの母や姉が彼の為に購入したミニカーコレクションはスゴいもので、半分以上処分したという割に、引き出しいっぱいのミニカーのコレクション。さすがに甥も、既に15歳だし、全くミニカーに対して興味も無いので、すべてウチの息子に受け継がれる事になった。
話を元に戻すが、もう、本当に乗り物達が好きになったらしくって、夜泣きの時にも「飛行機!」とか「車、のんの!」とか、脈略も無く叫ぶ感じ。まぁ、刺激も強かったから、ついて数日は時差ボケも手伝って結構激しく夜泣きをされたのだけれど、さすがに最初に「飛行機!」と叫ばれた時には、少しコミカルで笑ってしまった。
3週間強の滞在で、すっかりセンテンスで日本語を話す様になり、「すごいなぁ!」と思いつつ、前よりも要求がハッキリ分かるので「面倒くさいなぁ」と思う事も無きにしもあらず(苦笑)。なんせ、食事の用意をしていても「ママ、おいで~」とか、相方が抱き上げようとすると「ダディ、あっち。ママ、抱っこ」とか、ね。プラスで「オッパイ飲む~!」と街中で大声で叫ばれた日にゃぁ、笑わなしゃーない。
問題は、この日本語能力をどこまで維持して行くか。両親とは時間を決めて、出来るだけ1週間に1度はスカイプで話そう、と決めた。後は、日本語のテレビを見せる事。そして日本語を話すお友達と一緒に遊ぶ事。それだけやっても、学校に行きだしたら、英語に取って代わられるんやろうなぁ、と寂しく思いつつ、とりあえずは日本語で話す事が出来る様に、出来るだけ頻繁に日本へ帰ろうと、思ったのでありました。
ではでは、もうしばらくの間、紅葉を楽しんで下さいませ!
Wednesday, September 15, 2010
Vol. 3 - No. 10
## 想い出 ##
さて9月。
8月の初旬に、ヨハネスブルグからカルガリーに戻って来たけれど、冬のヨハネスブルグの日中の方が、夏のカルガリー日中より暖かかった。まさか、冗談では言っていたけれど、ホントに今年のカルガリー、冷夏だったみたい。
9月の今、数日おきに雨がふり、朝晩は10℃を下回る気温。日本の酷暑を考えると、足して2で割りたい気分。
8月初旬にカルガリーに戻って来たって書いたけれど、その2週間後に相方のお母さんが突然他界した。大好きだったお義母さん、そのあったかくでユーモア抜群の彼女のお葬式に、是が非でも出たいと思っていたけれど、やっぱり我が家のボンの肉体的ストレスを考えると、得策では無いと夫婦で一致して、相方のみ、またもや機上の人に。
私は祖母を、相方のお義母さんと同じ様に、思いもかけないタイミングで亡くした。その日、母が忙しくって、母は祖母に私と姉を託して出かけた。祖母と一緒に目医者に行って、その後は、姉が免許を取ったので、叔母も誘って女4人でランチに行った。その日行ったのはステーキハウス。
ランチのステーキをガッツリ食べて、楽しく歓談。祖母もいつもよりハイペースでステーキをぺろりと平らげて、で、最後のお勘定は叔母が持ち、私はトイレへ。祖母は一足先に外へ出る、と出口へ向かった。
私がトイレから出てくると、出口の方から女の人が「すみません!ちょっと誰か!」と。すると出口の方にいた叔母の「お母さん...」との声。
出て行ってみると、50代くらいの女性に祖母が抱えられている。慌てて、姉と私が走って祖母を支える。「重たいな~」と思いながらも、初めて救急車に乗れるんだって言う好奇心を抑える事が出来なくって、少しワクワク。
救急車が先に到着したのか、近くの獣医さんが先に到着したのか覚えてないけれど、次に覚えているのは、祖母が階段のところで座る形になって、そして既に息絶えている事を知らされた事。
救急車には既に死亡した人は乗せられないので、家へ戻る足は自分たちで確保しないといけないと言われ、慌てて、従姉妹が叔父の勤める病院に電話した事。祖父の病院に電話して祖母が亡くなった事を伝えるけれど、なかなか事情が把握出来ない祖父。
姉と家に帰って来たは良いけれど、母になんて連絡すべきか途方に暮れる私たち。父に電話して状況を伝え、その後、母に電話。元気な声で電話口に出て来る母に事情が伝えられず、「おばあちゃんが具合悪いから帰って来て」とだけ言って帰って来てもらった筈。その辺りは、結構あやふや。
そして母が戻って、タクシーで一緒に祖母の家に向かう時に、多分、母に問いただされて、祖母が亡くなった事を告げた気がする。鮮明に覚えているのは、祖母宅について、母が家に駆け込んで行って、そして聞こえた「お母ちゃん!」という哀しい叫び。
お葬式の時に、祖母を支えた事でなった腕の筋肉痛が空しかったっけ。
今回のお義母さんの突然の他界も、そのときの「え、噓でしょ?」という何かがスポッと抜けた様な、そんな感覚。8月に、一緒に笑って、そして大きい手術を乗り越えて、退院して、回復に向かって、その間もずうっとユーモアを忘れない彼女だったのに。
帰って来て2週間、簡単な手術後の抜糸的な簡単な手術で入院した彼女。麻酔から一旦覚めて、家族みんなと談笑し、みんなが帰ったその後に、脳内出血を起こした。そのまま2日間意識が戻らず、そして他界。
祖母のお葬式でお経を上げてくれたお坊さんが、「こういう突然の他界は周りの人には寂しいけれど、本人にとっては楽しい想い出ばかりで思い出してもらえるから、良い事をした人じゃないと、こういう風には逝けないんですよ」と言った通り、確かに寂しいけれど、そうだなって思う。
海外に住むという事。それは、こういう突然の別れに立ち会えない覚悟をしなければイケナイ。相方も私も故郷からは遠い。だからこそ、出来る時に親孝行はしないといけないと心から思う。ドンドン航空運賃も高騰してるし、子連れでの長旅はしんどいけれど、それでも、出来る時に出来る限りやっていこう。
そんな事を、何度もなんども考えた秋の夜長でした。
それでは、みなさんも残暑厳しきおり、お体には気をつけて。
さて9月。
8月の初旬に、ヨハネスブルグからカルガリーに戻って来たけれど、冬のヨハネスブルグの日中の方が、夏のカルガリー日中より暖かかった。まさか、冗談では言っていたけれど、ホントに今年のカルガリー、冷夏だったみたい。
9月の今、数日おきに雨がふり、朝晩は10℃を下回る気温。日本の酷暑を考えると、足して2で割りたい気分。
8月初旬にカルガリーに戻って来たって書いたけれど、その2週間後に相方のお母さんが突然他界した。大好きだったお義母さん、そのあったかくでユーモア抜群の彼女のお葬式に、是が非でも出たいと思っていたけれど、やっぱり我が家のボンの肉体的ストレスを考えると、得策では無いと夫婦で一致して、相方のみ、またもや機上の人に。
私は祖母を、相方のお義母さんと同じ様に、思いもかけないタイミングで亡くした。その日、母が忙しくって、母は祖母に私と姉を託して出かけた。祖母と一緒に目医者に行って、その後は、姉が免許を取ったので、叔母も誘って女4人でランチに行った。その日行ったのはステーキハウス。
ランチのステーキをガッツリ食べて、楽しく歓談。祖母もいつもよりハイペースでステーキをぺろりと平らげて、で、最後のお勘定は叔母が持ち、私はトイレへ。祖母は一足先に外へ出る、と出口へ向かった。
私がトイレから出てくると、出口の方から女の人が「すみません!ちょっと誰か!」と。すると出口の方にいた叔母の「お母さん...」との声。
出て行ってみると、50代くらいの女性に祖母が抱えられている。慌てて、姉と私が走って祖母を支える。「重たいな~」と思いながらも、初めて救急車に乗れるんだって言う好奇心を抑える事が出来なくって、少しワクワク。
救急車が先に到着したのか、近くの獣医さんが先に到着したのか覚えてないけれど、次に覚えているのは、祖母が階段のところで座る形になって、そして既に息絶えている事を知らされた事。
救急車には既に死亡した人は乗せられないので、家へ戻る足は自分たちで確保しないといけないと言われ、慌てて、従姉妹が叔父の勤める病院に電話した事。祖父の病院に電話して祖母が亡くなった事を伝えるけれど、なかなか事情が把握出来ない祖父。
姉と家に帰って来たは良いけれど、母になんて連絡すべきか途方に暮れる私たち。父に電話して状況を伝え、その後、母に電話。元気な声で電話口に出て来る母に事情が伝えられず、「おばあちゃんが具合悪いから帰って来て」とだけ言って帰って来てもらった筈。その辺りは、結構あやふや。
そして母が戻って、タクシーで一緒に祖母の家に向かう時に、多分、母に問いただされて、祖母が亡くなった事を告げた気がする。鮮明に覚えているのは、祖母宅について、母が家に駆け込んで行って、そして聞こえた「お母ちゃん!」という哀しい叫び。
お葬式の時に、祖母を支えた事でなった腕の筋肉痛が空しかったっけ。
今回のお義母さんの突然の他界も、そのときの「え、噓でしょ?」という何かがスポッと抜けた様な、そんな感覚。8月に、一緒に笑って、そして大きい手術を乗り越えて、退院して、回復に向かって、その間もずうっとユーモアを忘れない彼女だったのに。
帰って来て2週間、簡単な手術後の抜糸的な簡単な手術で入院した彼女。麻酔から一旦覚めて、家族みんなと談笑し、みんなが帰ったその後に、脳内出血を起こした。そのまま2日間意識が戻らず、そして他界。
祖母のお葬式でお経を上げてくれたお坊さんが、「こういう突然の他界は周りの人には寂しいけれど、本人にとっては楽しい想い出ばかりで思い出してもらえるから、良い事をした人じゃないと、こういう風には逝けないんですよ」と言った通り、確かに寂しいけれど、そうだなって思う。
海外に住むという事。それは、こういう突然の別れに立ち会えない覚悟をしなければイケナイ。相方も私も故郷からは遠い。だからこそ、出来る時に親孝行はしないといけないと心から思う。ドンドン航空運賃も高騰してるし、子連れでの長旅はしんどいけれど、それでも、出来る時に出来る限りやっていこう。
そんな事を、何度もなんども考えた秋の夜長でした。
それでは、みなさんも残暑厳しきおり、お体には気をつけて。
Wednesday, July 21, 2010
Vol. 3 - No. 9
## 短い夏の風物詩 ##
カルガリーの夏は、短い。
噂に依ると、1ヶ月。『7月限定』らしい。
ただねぇ、この1ヶ月って言っても、月曜にはピンポン球みたいな彪が降ったし、友達なんて暖房つけて寝た言ってたし、かと思えば、3月のまっただ中に夏みたいに暑い日があったりするし、一概にも1ヶ月って言い切れんところがミソ。
やっぱりロッキーのお膝元やし、山の天気は変わりやすいってことで、ほぼ毎日の様に雷がゴロゴロ~、稲妻ピカピカ~、そしておまけで虹がニョッキリ~と出てくる。雷好きの私としては良い感じ。
さて、そんな短い夏の間にカルガリアンが最も愛しているイベントが『カルガリー・スタンピード』。
『スタンピード? 何じゃそれ?』
と思われる方も多くいらっしゃるかと思われます。デジタル大辞泉によるとスタンピードとは、『大挙して逃げ出したり押し寄せたりする、群衆などの突発的な行動。パニック状態。』
『え、何なに?』
と余計ワケ分からんくなった人も多い筈。
カルガリーは、知る人ぞ知る、北のテキサスと言われており、ウシさんで有名な街。カルガリースタンピードとは、毎年7月に10日間行われるカウボーイさん達のお祭り。あんまり見るものの無い(ごめん、カルガリー)カルガリアンは、ここぞとばかりに大はしゃぎ。会社なんてあってないようなもの。この期間中だけは、オフィス街の人口はドッと減る。
街に出てみると、大半の人たちはカウボーイハットを被っているし、カウボーイブーツやバンダナ着用で、まったくカウボーイ/カウガールになり切った人たちも、本当に多い。
メインのイベントは、ダウンタウン近くにある、『サドルドーム』という馬の鞍の形をしたスタジアムで行われているけれど、この10日間は「スタンピードブレックファースト」と称して、街のあちこちでパンケーキとソーセージが無料で配られる。スタンピードのメインイベントに行かなくても、こっちに行く人はとても多い。
今朝、私も、ママ友に連れられてスタンピードブレックファーストに行って来たけれど、ほんまスゴい人。朝9時から始まるそのイベントに、私たちは10時頃に行ったのだけど、まぁ、長蛇の列が4本、5本。この街の人はホントこの期間は働いてないってことを実感。
ステージではカントリーミュージックのライブバンドがパフォーマンスをしており、その前には藁の山がテーブルの様にしてあり、まぁ、ホント、突然、牧場にテレポートしたかのような気分。また、ここで作られているパンケーキのおいしい事。参加人数が多いからパンケーキだって工事の人が使うパワーツールを使ってミックスされる。思うに、それが美味しさの秘訣の様な気もするんだけど。
そしてサドルドームでは、ロデオとか幌馬車のレースとか繰り広げられ、まったくもってウェスタン色一色。そして毎晩8時からはナイトイベントとして結構(ここがみそ)有名なシンガーが来たり、ダンサーがショーを繰り広げ、ショーの終わりには花火がドンドン!と上がる。(日本の花火に慣れてると結構チャチかったりする)
ここで忘れちゃいけないのが、このスタジアムにある露店の数々。まぁ、揚げ物の店が多い事!ドーナッツやアメリカンドッグと言った定番のものから、「え?そんなものまで揚げちゃうの」という様なもの、例えばオレオクッキーの天ぷらとか、がところ狭しと並ぶのだ。
ホント、見た瞬間にコレステロール値が上がりそうなものばかり。でも、みんながっつく、がっつく。ひ弱な胃腸システムを持つ私としては、見ているだけでお腹がいっぱいでございます。
しかし、これだけカウボーイハットを被った人たちを見ると、被ってない自分が何だか取り残された気になって、早速、息子には3ドル50セント程でカウボーイハットをゲット。来年のスタンピードには親子3人でカウボーイ/カウガールに扮するのも良いなぁと、今から来年に心を馳せてるところ。
ただ、このスタンピードが終わると、街は既に夏の終わりの到来を待っている感じ。はぁ、やっと夏が始まったと思ったのに、もう終わりを告げるのね~。このエントリーを書いている今は、スタンピードのフィナーレに向けて、街は絶好調にラテン気分だけれど、読者の皆さんが読まれる頃には、街は既に静か~になっている事でしょう。
私らも短い夏を楽しも~、と思っていたところ、急遽南アフリカに飛ばねばならなくなり、この記事が皆さんのお手元に届く頃にはワールドカップが終わった後の冬のヨハネスブルグにおります。あ~、折角プール買ったのに、使わずに箱にしまわれるんだろうな~。
ではでは、行って来ま~す!
カルガリーの夏は、短い。
噂に依ると、1ヶ月。『7月限定』らしい。
ただねぇ、この1ヶ月って言っても、月曜にはピンポン球みたいな彪が降ったし、友達なんて暖房つけて寝た言ってたし、かと思えば、3月のまっただ中に夏みたいに暑い日があったりするし、一概にも1ヶ月って言い切れんところがミソ。
やっぱりロッキーのお膝元やし、山の天気は変わりやすいってことで、ほぼ毎日の様に雷がゴロゴロ~、稲妻ピカピカ~、そしておまけで虹がニョッキリ~と出てくる。雷好きの私としては良い感じ。
さて、そんな短い夏の間にカルガリアンが最も愛しているイベントが『カルガリー・スタンピード』。
『スタンピード? 何じゃそれ?』
と思われる方も多くいらっしゃるかと思われます。デジタル大辞泉によるとスタンピードとは、『大挙して逃げ出したり押し寄せたりする、群衆などの突発的な行動。パニック状態。』
『え、何なに?』
と余計ワケ分からんくなった人も多い筈。
カルガリーは、知る人ぞ知る、北のテキサスと言われており、ウシさんで有名な街。カルガリースタンピードとは、毎年7月に10日間行われるカウボーイさん達のお祭り。あんまり見るものの無い(ごめん、カルガリー)カルガリアンは、ここぞとばかりに大はしゃぎ。会社なんてあってないようなもの。この期間中だけは、オフィス街の人口はドッと減る。
街に出てみると、大半の人たちはカウボーイハットを被っているし、カウボーイブーツやバンダナ着用で、まったくカウボーイ/カウガールになり切った人たちも、本当に多い。
メインのイベントは、ダウンタウン近くにある、『サドルドーム』という馬の鞍の形をしたスタジアムで行われているけれど、この10日間は「スタンピードブレックファースト」と称して、街のあちこちでパンケーキとソーセージが無料で配られる。スタンピードのメインイベントに行かなくても、こっちに行く人はとても多い。
今朝、私も、ママ友に連れられてスタンピードブレックファーストに行って来たけれど、ほんまスゴい人。朝9時から始まるそのイベントに、私たちは10時頃に行ったのだけど、まぁ、長蛇の列が4本、5本。この街の人はホントこの期間は働いてないってことを実感。
ステージではカントリーミュージックのライブバンドがパフォーマンスをしており、その前には藁の山がテーブルの様にしてあり、まぁ、ホント、突然、牧場にテレポートしたかのような気分。また、ここで作られているパンケーキのおいしい事。参加人数が多いからパンケーキだって工事の人が使うパワーツールを使ってミックスされる。思うに、それが美味しさの秘訣の様な気もするんだけど。
そしてサドルドームでは、ロデオとか幌馬車のレースとか繰り広げられ、まったくもってウェスタン色一色。そして毎晩8時からはナイトイベントとして結構(ここがみそ)有名なシンガーが来たり、ダンサーがショーを繰り広げ、ショーの終わりには花火がドンドン!と上がる。(日本の花火に慣れてると結構チャチかったりする)
ここで忘れちゃいけないのが、このスタジアムにある露店の数々。まぁ、揚げ物の店が多い事!ドーナッツやアメリカンドッグと言った定番のものから、「え?そんなものまで揚げちゃうの」という様なもの、例えばオレオクッキーの天ぷらとか、がところ狭しと並ぶのだ。
ホント、見た瞬間にコレステロール値が上がりそうなものばかり。でも、みんながっつく、がっつく。ひ弱な胃腸システムを持つ私としては、見ているだけでお腹がいっぱいでございます。
しかし、これだけカウボーイハットを被った人たちを見ると、被ってない自分が何だか取り残された気になって、早速、息子には3ドル50セント程でカウボーイハットをゲット。来年のスタンピードには親子3人でカウボーイ/カウガールに扮するのも良いなぁと、今から来年に心を馳せてるところ。
ただ、このスタンピードが終わると、街は既に夏の終わりの到来を待っている感じ。はぁ、やっと夏が始まったと思ったのに、もう終わりを告げるのね~。このエントリーを書いている今は、スタンピードのフィナーレに向けて、街は絶好調にラテン気分だけれど、読者の皆さんが読まれる頃には、街は既に静か~になっている事でしょう。
私らも短い夏を楽しも~、と思っていたところ、急遽南アフリカに飛ばねばならなくなり、この記事が皆さんのお手元に届く頃にはワールドカップが終わった後の冬のヨハネスブルグにおります。あ~、折角プール買ったのに、使わずに箱にしまわれるんだろうな~。
ではでは、行って来ま~す!
Saturday, June 19, 2010
Vol.3 - No. 8
## ワールドカップに思う事 ##
さてさて、日本の快進撃が見られているワールドカップ。後少しで決勝トーナメントに手が届くところらしいですね。楽しみ楽しみ。実は、この「らしい」って表現に気づいて頂きました?
私、サッカー、あんまり良く知らないの。丁度、日本がワールドカップを誘致しようと、ある年に突然サッカー熱に火がついたの覚えてます?90年代の初旬くらいやったかな?急にメディアでも取り上げられる様になり、本当に強力にプッシュされたんだけど、覚えてるかな。
で、それまではサッカー結構好きで、高校選抜とか一生懸命見てる口だったのが、なんだか急に流行のごとくメディアがサッカー、サッカー言うもんやから、天の邪鬼の私はワザとサッカー見なくなったんですな(笑)。で、ワールドカップの開催より前に日本を飛び出してしまったから、ついつい置いてけぼり。
で、今回のワールドカップ。今回はねぇ、カナダに住んで、ワールドカップにも参加してへんから、ホントに遠い存在になるかなって思うでしょ?ところがどっこい、今回は相方に火がついて、その上、自国チームが出場してないカナダも、さすがに移民の多い国、ほとんど全試合が放映される事から、ワールドカップがかなり身近な存在に。
ま、相方に火が着いた理由の一番トップに輝くのは、やっぱり自分の生まれ育った地、南アフリカでの開催って言うのが大きい。南アフリカで開催が決まってから、3度程、相方と一緒に里帰りしたけど、ホンマね、帰る度に目に見えて変わって行ったね。
巷で見かける車が、目に見えて良いもの/良いコンディションに変わって行った事。警察の姿が増えた事。道路が綺麗になって行った事。工事が増えた事。空港での小銭稼ぎの兄ちゃん達が増えた事。
危ない、危ないと言われる南アフリカ。初めて相方の実家を訪れる前、どんなに危険な国なのかと、本当にドキドキしながら、もう覚悟を決めて行った事を思い出す。行ってみれば、確かにどの家にも大抵は警報装置がついてるし、塀の上にも電線が巡らされている、という事の他は普通だった。ショッピングモールに行っても、トイレも綺麗だし、アウトドアのカフェもあるし。確かに銀行強盗があったりするんだけど、シンプルな犯罪が多い分、日本や北米での精神倒錯がらみの犯罪よりも怖く無いんよね。
そりゃ、危ないと言われるダウンタウンや、電車の駅の裏とかに行くと、もちろん結構な確率で強盗に遭うのは間違い無し。でも、常識の範囲内で行動していれば危険な目に遭う事は少ない。
今回のワールドカップでも、実は治安の悪化が懸念されていたけれど、今のところは大きい犯罪は起こってないね。中国の報道チームがカメラを取られたりしたみたいやけど、あれも、やってはイケナイと言われている高速道路上で車を止めて一服していたところをやられたらしい。あの車を停めていたエリアは、治安の良い地域の近くなんだけど、治安が悪い地域で、車を停めると強盗をされる事で有名なんだな。
ま、でも何にしても、今回のワールドカップは大した事件も無く無事に終わって欲しいと、心から思っている次第。アパルトヘイトが終わって以来、ドンドンと発展を遂げている南アフリカだけど、こういう世界レベルのイベントが成功する事による発展というのは目覚ましいものだと思うんよ。この大会が成功すれば、次の目標はオリンピック。そしてアパルトヘイト問題が激化する前までいた海外企業達もドンドンと戻って来る事により、失業率も減り、インフラストラクチャーも整うんでは無いかって思うんだよね。
しかし、面白いんだけど、私の相方が南アフリカ人ということで、カナダでの周りの人たちはみんな、彼がワールドカップの事を知り尽くしている人だと思っているらしく、職場でも毎日『今日はどのチームが試合するの?』とか『どのチームがどこで合宿してるの?』とか質問攻めらしい。
スポーツ好きの我が相方、そう言う質問には、やはりキッチリ答えたいらしくて、毎日ワールドカップニュースのチェックは欠かせない。そして、私にも色々と質問して来るんだな。分からないっちゅうのに(笑)。
そして相方のオフィスの長、イアンはイギリス出身のカナダ人。イギリス人と言えば無類のサッカー好きで有名。で、彼は予算も考えず、大型液晶テレビを数台オフィスと革張りのソファーを数台オフィスに購入し、オフィス内にワールドカップ鑑賞室なるものを作ったそうな。彼の事だから冷蔵庫も完備して、中にはキンキンに冷えたギネスビールなどもありそうな予感(笑)。
私の住んでるエリアはフランスのインターナショナルスクールがあったりすることから、ワールドカップが始まってから私の近所にはフランスの国旗が多く掲げられてるし、ドイツの国旗もあったりする。やっぱりウチも日本と南アフリカの国旗を掲げなアカンかな?
うちの近所にあるパブでは、毎日、大画面で試合を放映して、平日休日関係なく大にぎわい。ニュースで言ってたけれど、場所によっては朝の4時から店を開けて試合を放映しているところもあるらしい。ただし、法律によってお昼まで(だったかな?)酒類の販売は禁止されているから、アルコール抜きのドリンクしか出せないらしいけど。
いやはや、ワールドカップに行く予定は全く無かったものの、こうやって毎日ワールドカップを見ていると、『あ~行けば良かった』と少し心残り。普通にチケットを買えば、高いのだけれど、南アフリカ内でギリギリに買えば結構安価で買えたらしい。次に南アフリカに行くのは、ワールドカップの終了した後。大きいスポーツイベントが終わった後って廃れてしまう街が多いのも確かだけれど、南アフリカはどう変わっているだろう。
ワールドカップを契機にツーリストが増えて活気づいていると良いな、と心から思うのでありました。
ということで、ワールドカップ。色々と思うところあり。とりあえず、オランダ戦、頑張って欲しいね。
さてさて、日本の快進撃が見られているワールドカップ。後少しで決勝トーナメントに手が届くところらしいですね。楽しみ楽しみ。実は、この「らしい」って表現に気づいて頂きました?
私、サッカー、あんまり良く知らないの。丁度、日本がワールドカップを誘致しようと、ある年に突然サッカー熱に火がついたの覚えてます?90年代の初旬くらいやったかな?急にメディアでも取り上げられる様になり、本当に強力にプッシュされたんだけど、覚えてるかな。
で、それまではサッカー結構好きで、高校選抜とか一生懸命見てる口だったのが、なんだか急に流行のごとくメディアがサッカー、サッカー言うもんやから、天の邪鬼の私はワザとサッカー見なくなったんですな(笑)。で、ワールドカップの開催より前に日本を飛び出してしまったから、ついつい置いてけぼり。
で、今回のワールドカップ。今回はねぇ、カナダに住んで、ワールドカップにも参加してへんから、ホントに遠い存在になるかなって思うでしょ?ところがどっこい、今回は相方に火がついて、その上、自国チームが出場してないカナダも、さすがに移民の多い国、ほとんど全試合が放映される事から、ワールドカップがかなり身近な存在に。
ま、相方に火が着いた理由の一番トップに輝くのは、やっぱり自分の生まれ育った地、南アフリカでの開催って言うのが大きい。南アフリカで開催が決まってから、3度程、相方と一緒に里帰りしたけど、ホンマね、帰る度に目に見えて変わって行ったね。
巷で見かける車が、目に見えて良いもの/良いコンディションに変わって行った事。警察の姿が増えた事。道路が綺麗になって行った事。工事が増えた事。空港での小銭稼ぎの兄ちゃん達が増えた事。
危ない、危ないと言われる南アフリカ。初めて相方の実家を訪れる前、どんなに危険な国なのかと、本当にドキドキしながら、もう覚悟を決めて行った事を思い出す。行ってみれば、確かにどの家にも大抵は警報装置がついてるし、塀の上にも電線が巡らされている、という事の他は普通だった。ショッピングモールに行っても、トイレも綺麗だし、アウトドアのカフェもあるし。確かに銀行強盗があったりするんだけど、シンプルな犯罪が多い分、日本や北米での精神倒錯がらみの犯罪よりも怖く無いんよね。
そりゃ、危ないと言われるダウンタウンや、電車の駅の裏とかに行くと、もちろん結構な確率で強盗に遭うのは間違い無し。でも、常識の範囲内で行動していれば危険な目に遭う事は少ない。
今回のワールドカップでも、実は治安の悪化が懸念されていたけれど、今のところは大きい犯罪は起こってないね。中国の報道チームがカメラを取られたりしたみたいやけど、あれも、やってはイケナイと言われている高速道路上で車を止めて一服していたところをやられたらしい。あの車を停めていたエリアは、治安の良い地域の近くなんだけど、治安が悪い地域で、車を停めると強盗をされる事で有名なんだな。
ま、でも何にしても、今回のワールドカップは大した事件も無く無事に終わって欲しいと、心から思っている次第。アパルトヘイトが終わって以来、ドンドンと発展を遂げている南アフリカだけど、こういう世界レベルのイベントが成功する事による発展というのは目覚ましいものだと思うんよ。この大会が成功すれば、次の目標はオリンピック。そしてアパルトヘイト問題が激化する前までいた海外企業達もドンドンと戻って来る事により、失業率も減り、インフラストラクチャーも整うんでは無いかって思うんだよね。
しかし、面白いんだけど、私の相方が南アフリカ人ということで、カナダでの周りの人たちはみんな、彼がワールドカップの事を知り尽くしている人だと思っているらしく、職場でも毎日『今日はどのチームが試合するの?』とか『どのチームがどこで合宿してるの?』とか質問攻めらしい。
スポーツ好きの我が相方、そう言う質問には、やはりキッチリ答えたいらしくて、毎日ワールドカップニュースのチェックは欠かせない。そして、私にも色々と質問して来るんだな。分からないっちゅうのに(笑)。
そして相方のオフィスの長、イアンはイギリス出身のカナダ人。イギリス人と言えば無類のサッカー好きで有名。で、彼は予算も考えず、大型液晶テレビを数台オフィスと革張りのソファーを数台オフィスに購入し、オフィス内にワールドカップ鑑賞室なるものを作ったそうな。彼の事だから冷蔵庫も完備して、中にはキンキンに冷えたギネスビールなどもありそうな予感(笑)。
私の住んでるエリアはフランスのインターナショナルスクールがあったりすることから、ワールドカップが始まってから私の近所にはフランスの国旗が多く掲げられてるし、ドイツの国旗もあったりする。やっぱりウチも日本と南アフリカの国旗を掲げなアカンかな?
うちの近所にあるパブでは、毎日、大画面で試合を放映して、平日休日関係なく大にぎわい。ニュースで言ってたけれど、場所によっては朝の4時から店を開けて試合を放映しているところもあるらしい。ただし、法律によってお昼まで(だったかな?)酒類の販売は禁止されているから、アルコール抜きのドリンクしか出せないらしいけど。
いやはや、ワールドカップに行く予定は全く無かったものの、こうやって毎日ワールドカップを見ていると、『あ~行けば良かった』と少し心残り。普通にチケットを買えば、高いのだけれど、南アフリカ内でギリギリに買えば結構安価で買えたらしい。次に南アフリカに行くのは、ワールドカップの終了した後。大きいスポーツイベントが終わった後って廃れてしまう街が多いのも確かだけれど、南アフリカはどう変わっているだろう。
ワールドカップを契機にツーリストが増えて活気づいていると良いな、と心から思うのでありました。
ということで、ワールドカップ。色々と思うところあり。とりあえず、オランダ戦、頑張って欲しいね。
Wednesday, May 12, 2010
Vol.3 - No.7
マルチリンガルの勧め
お久しぶりです。久しく書いてなかった間に、カルガリーはすっかりと夏模様。といっても、4月下旬に夏模様になってウキウキしてたら、5月上旬にはドカンと雪に降られ、すっかりと体も訳が分からない状態になってたんですけどね。
さて、この間、毎週金曜日に新聞と一緒に配達される雑誌に興味深い記事が載ってました。それは「マルチリンガルの勧め」というもの。
カナダはご存知の人も多いと思いますが、移民の多い国。そして公用語も英語とフランス語のふたつあることから、英語以外の言葉も話す人が多い国。その雑誌記事に誰か有名な人が言った言葉の引用がサブタイトルのように使用されていたのだけれど、それが結構おもしろい。
『どこかで胸を張って、「私は英語しか話さない」と言う人を見かけたら、それは「アメリカ人」だと思え。』
言い得て妙だなと思わずうなずいた。確かに私の周りでも英語しか話せない人はいても、でも、それを当たり前だと思い、話せない人を見下すような態度を取る人はアメリカ人かも(笑)。
もちろん、今のグローバルなご時世、そんな人はあんまりいないけれど、でも、田舎の方に行けば、絶対にそういう人に会えると思う(これって差別的発言よね。ゴメン、ゴメン。)
で、話を元に戻すけれど、その記事は、『子供が胎児のうちに数カ国語で話しかけると生まれてからマルチリンガルになる可能性が高くなる』というバンクーバーで実際に行われたリサーチの結果から始まってた。
それを見て、「アイタタタ」と思った私。
うちの息子がお腹の中にいる間、多分、日本語で話したのって、数える程だ。妊娠後期になるまで日本にいる家族にも言わへんかったし、職場も家での会話も全部英語。あ~、もっと日本語の環境にいるべきやったかも。
ま、それでも記事を読み進めた。
『胎児のうちに話しかけてなかった人でも、子供が赤ちゃんのうちに話しかければ、効果は上がる』
あ~良かった~。
生まれてからは、がんばって日本語で話し続けている。でもねぇ、私の日本語、かなり復習が必要。記事の中でも取り上げられていたけれど、英語圏で英語で生活していることにより母国語が疎かになっている親御さんて多くて、そういう人は学校に通ったりして母国語を勉強し直している人もいるらしい。
で、英語と日本語のチャンポンで子供に話しかけると、子供が自然に楽な方を選んで両方を話してくれなくなることも多いから、『この言葉で話しかける』って決めたら、それを貫くことが大切らしい。
実際に、友人の息子も、友人が日本語で話しかけても英語でしか答えなくなってる。彼女曰く「息子の前で、自然に両方混ぜて使ってたら、日本語話してくれなくなったのよね」と。で、最近は、友人も息子に英語で話していることの方が多くなった。
一人じゃなくて、そういう人、良くいるんだなぁ。うちもそうだけれど、旦那が日本語を話さないし解さないから、どうしても旦那との会話は英語になり、そしてついつい子供にも英語を混ぜて使ってしまう、というのが典型的。また、少数派だけど、旦那さん(もしくは奥さん)が日本語を解さない場合、子供に日本語で話しかけるのを嫌がる場合もあるらしい。
で、記事にも書いてあったけれど、やっぱり理想的なのは、親同士が英語で話しても、親が子供に使う言語は、混ぜないこと。私の場合は旦那には英語で、息子には日本語。うちは多分、2カ国どまりだけれど、カナダでは、片親が日本語、もう片方の親がフランス語、そして外では英語、と言うように、親一人につき1言語、そして外ではまた別の言語、という家庭も多いんだって。
その記事『マルチリンガルの勧め』が力説していたのは、2つ以上の言葉に早くから触れていると、脳の働きが1言語しか話さない子供に比べて活発らしい。ここカルガリーでは、マルチリンガルに対する憧れが、特に強いらしい。
もちろん両親ともに英語しか話さない家庭も多くあるカナダ。そういう家庭でも、今のカナダには英語を話す人向けに、フランス語で教育を行う学校やスペイン語で行う学校、そして中国語で行う公立校がある。こういった学校は学校とのコミュニケーションは英語を使って行われるので親たちも実際にフランス語、スペイン語そして中国語などを理解しなくても大丈夫。
実際、私のバンクーバーの友達は、二人の子供をフランス語の学校に送っている。
でも、実は彼女が子供たちをフランス語の学校に通わせているのは、『バイリンガルにさせたい』と言うのが第一ではなかったのだけれど。彼女の住んでいる地区は中国系の移民の人が多く、実は普通の公立校は英語を話せない子供たちが多く、授業の進度が遅いため、公立校に子供を行かせたくないと言う人も多いのだ。私立に入れるにはお金がないけれど、英語が話せないと入れないフランス語の公立校であれば、授業の遅れも無い、ということから、彼女はフランス語の公立校を選んだ。
うちは日本語と英語の2カ国語教育になると思うけれど、それでもナカナカ頭が痛い。私がもしもフルタイムで仕事に復帰するとなると、どうしても息子を日中預けることになる。そうなると、どうしても英語に触れる時間が長くなり日本語が疎かになってしまうと言うこと。
で、『マルチリンガルの勧め』の記事でも『小さいうちにマルチリンガル教育に成功したと思っても、大きくなってからあまり使わない方の言語が話せなくなるケースも多く、それを維持するには起きている時間の3分の1は、そのあまり使わない方の言語に触れるべき』と記されている。
それって、学校に行きだしたら、朝学校へ行く前と、家へ帰って寝るまでの間、日本語浸けにしないと駄目ってことやんねぇ?で、学校の宿題とか増えてきたら、家で見るテレビは日本語のものだけ、とかにするってこと?
なんか無理があるよね?今でも、公園で遊んでて、ほかの子供がいて、うちの息子と一緒に遊んだりする場面で「何語話すべき?」って思うことが多々あり。ほかの子供には英語で、息子には日本語。でも子供たちみんなに話しかけるとなると英語やん?
そうやって考えると難しい。疲れてるときだと頭がこんがらがってしまうこと間違いなし。中高で日本語が選択できる学校が近くにあると良いんだけどな。ま、バイリンガル教育、出来るところまでやってみるなり。
それでは、今回はこの辺で~。
お久しぶりです。久しく書いてなかった間に、カルガリーはすっかりと夏模様。といっても、4月下旬に夏模様になってウキウキしてたら、5月上旬にはドカンと雪に降られ、すっかりと体も訳が分からない状態になってたんですけどね。
さて、この間、毎週金曜日に新聞と一緒に配達される雑誌に興味深い記事が載ってました。それは「マルチリンガルの勧め」というもの。
カナダはご存知の人も多いと思いますが、移民の多い国。そして公用語も英語とフランス語のふたつあることから、英語以外の言葉も話す人が多い国。その雑誌記事に誰か有名な人が言った言葉の引用がサブタイトルのように使用されていたのだけれど、それが結構おもしろい。
『どこかで胸を張って、「私は英語しか話さない」と言う人を見かけたら、それは「アメリカ人」だと思え。』
言い得て妙だなと思わずうなずいた。確かに私の周りでも英語しか話せない人はいても、でも、それを当たり前だと思い、話せない人を見下すような態度を取る人はアメリカ人かも(笑)。
もちろん、今のグローバルなご時世、そんな人はあんまりいないけれど、でも、田舎の方に行けば、絶対にそういう人に会えると思う(これって差別的発言よね。ゴメン、ゴメン。)
で、話を元に戻すけれど、その記事は、『子供が胎児のうちに数カ国語で話しかけると生まれてからマルチリンガルになる可能性が高くなる』というバンクーバーで実際に行われたリサーチの結果から始まってた。
それを見て、「アイタタタ」と思った私。
うちの息子がお腹の中にいる間、多分、日本語で話したのって、数える程だ。妊娠後期になるまで日本にいる家族にも言わへんかったし、職場も家での会話も全部英語。あ~、もっと日本語の環境にいるべきやったかも。
ま、それでも記事を読み進めた。
『胎児のうちに話しかけてなかった人でも、子供が赤ちゃんのうちに話しかければ、効果は上がる』
あ~良かった~。
生まれてからは、がんばって日本語で話し続けている。でもねぇ、私の日本語、かなり復習が必要。記事の中でも取り上げられていたけれど、英語圏で英語で生活していることにより母国語が疎かになっている親御さんて多くて、そういう人は学校に通ったりして母国語を勉強し直している人もいるらしい。
で、英語と日本語のチャンポンで子供に話しかけると、子供が自然に楽な方を選んで両方を話してくれなくなることも多いから、『この言葉で話しかける』って決めたら、それを貫くことが大切らしい。
実際に、友人の息子も、友人が日本語で話しかけても英語でしか答えなくなってる。彼女曰く「息子の前で、自然に両方混ぜて使ってたら、日本語話してくれなくなったのよね」と。で、最近は、友人も息子に英語で話していることの方が多くなった。
一人じゃなくて、そういう人、良くいるんだなぁ。うちもそうだけれど、旦那が日本語を話さないし解さないから、どうしても旦那との会話は英語になり、そしてついつい子供にも英語を混ぜて使ってしまう、というのが典型的。また、少数派だけど、旦那さん(もしくは奥さん)が日本語を解さない場合、子供に日本語で話しかけるのを嫌がる場合もあるらしい。
で、記事にも書いてあったけれど、やっぱり理想的なのは、親同士が英語で話しても、親が子供に使う言語は、混ぜないこと。私の場合は旦那には英語で、息子には日本語。うちは多分、2カ国どまりだけれど、カナダでは、片親が日本語、もう片方の親がフランス語、そして外では英語、と言うように、親一人につき1言語、そして外ではまた別の言語、という家庭も多いんだって。
その記事『マルチリンガルの勧め』が力説していたのは、2つ以上の言葉に早くから触れていると、脳の働きが1言語しか話さない子供に比べて活発らしい。ここカルガリーでは、マルチリンガルに対する憧れが、特に強いらしい。
もちろん両親ともに英語しか話さない家庭も多くあるカナダ。そういう家庭でも、今のカナダには英語を話す人向けに、フランス語で教育を行う学校やスペイン語で行う学校、そして中国語で行う公立校がある。こういった学校は学校とのコミュニケーションは英語を使って行われるので親たちも実際にフランス語、スペイン語そして中国語などを理解しなくても大丈夫。
実際、私のバンクーバーの友達は、二人の子供をフランス語の学校に送っている。
でも、実は彼女が子供たちをフランス語の学校に通わせているのは、『バイリンガルにさせたい』と言うのが第一ではなかったのだけれど。彼女の住んでいる地区は中国系の移民の人が多く、実は普通の公立校は英語を話せない子供たちが多く、授業の進度が遅いため、公立校に子供を行かせたくないと言う人も多いのだ。私立に入れるにはお金がないけれど、英語が話せないと入れないフランス語の公立校であれば、授業の遅れも無い、ということから、彼女はフランス語の公立校を選んだ。
うちは日本語と英語の2カ国語教育になると思うけれど、それでもナカナカ頭が痛い。私がもしもフルタイムで仕事に復帰するとなると、どうしても息子を日中預けることになる。そうなると、どうしても英語に触れる時間が長くなり日本語が疎かになってしまうと言うこと。
で、『マルチリンガルの勧め』の記事でも『小さいうちにマルチリンガル教育に成功したと思っても、大きくなってからあまり使わない方の言語が話せなくなるケースも多く、それを維持するには起きている時間の3分の1は、そのあまり使わない方の言語に触れるべき』と記されている。
それって、学校に行きだしたら、朝学校へ行く前と、家へ帰って寝るまでの間、日本語浸けにしないと駄目ってことやんねぇ?で、学校の宿題とか増えてきたら、家で見るテレビは日本語のものだけ、とかにするってこと?
なんか無理があるよね?今でも、公園で遊んでて、ほかの子供がいて、うちの息子と一緒に遊んだりする場面で「何語話すべき?」って思うことが多々あり。ほかの子供には英語で、息子には日本語。でも子供たちみんなに話しかけるとなると英語やん?
そうやって考えると難しい。疲れてるときだと頭がこんがらがってしまうこと間違いなし。中高で日本語が選択できる学校が近くにあると良いんだけどな。ま、バイリンガル教育、出来るところまでやってみるなり。
それでは、今回はこの辺で~。
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